グループ本社 社長メッセージ

山口寿一

 明治の初め、30人足らずの小さな新聞社が生まれました。

 新聞と言えば、漢文調の新聞しかなかった時代に、ですます調、ふりがな付きの新聞として読売新聞は創刊されました。

 当時の日本人の識字率は30%程度だったそうです。新聞を読むのは、一部の知識人に限られていました。

 そのような黎明(れいめい(の時代に、読売新聞は、難しい新聞から取り残されていた庶民に目を向け、読み書きに不慣れな人々に知識と情報を届けることで、開明の社会の実現を読者とともにめざしたのでした。

 その試みは成功しました。読売新聞は創刊2年目にして全国1位の発行部数となり、その後も着実に読者を増やしました。新聞が普及することにより、ものを読む習慣が広がり、人々は日々、黙読するようになりました。黙読は個人が自分の内面と向き合う時間を作り、日本人の近代的自我が育っていきました。

 時代が移って、テクノロジーの進展により、だれもが情報を発信できる社会になりました。メディアは多元化し、世の中には膨大な量の情報が行き交っています。

 しかし、人々が情報の摂取に使える時間には限りがあることから、多元化したメディアはユーザーの時間を奪い合う状況になっています。

 ユーザーの関心を引くには刺激の強いコンテンツが有利です。ソーシャルメディアは刺激の競争の空間となり、その結果、フェイクニュースや陰謀論が横行し、社会の分断をもたらす弊害も生じています。

 「情報が過剰になると、人は注意力を奪われる」と言ったのは、ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンです。

 人々が過剰な情報に注意力を奪われると、真実を軽視するポスト・トゥルースへ流されやすくなります。

 サイモンは、インターネットが普及し始めた1990年代半ばに、「大量の情報を処理するシステムが必要なのではない。人々を注意力の分散から守る知的な情報濾過(ろか(システムが必要だ」と指摘していました。

 情報過剰の時代に求められるのは、情報の「濾過装置」です。

 読売新聞は、正確で真に役に立つ情報、公正な言論を提供する質の高い濾過装置であることを自らの役割と任じています。

 私たちの活動は、報道・言論だけにとどまりません。

 かつて読売巨人軍を創設し、日本初の民間テレビ局・日本テレビを設立し、さらに傘下に読売日本交響楽団、中央公論新社、よみうりランドなどを抱え、スポーツ・文化・エンターテインメントをもう一つの本業として展開してきました。

 今後も、報道を通じて築いた信頼を軸に、公共の利益に資するさまざまな事業に取り組んでいく所存です。

 約150年前、読売新聞の創刊号は「(この) 新ぶん紙は為になる事柄を誰にでも分るやうに書てだす 旨赴 (つもり) でござります」と記しました。

 読みやすいメディアがなく、人々が情報から疎外されていた黎明期から、情報が増え過ぎて、人々が真実を見分けにくくなった現代へ、時代は大きく変わりましたが、読売新聞の創刊の志は変わりません。

 読売新聞グループは、これからも日本を代表する総合メディアグループとして、また人々の心を豊かにする企業集団として、皆さまとともに考え、伝え、歩んでまいります。

読売新聞グループ本社
代表取締役社長
山口 寿一

主な経歴

読売新聞グループ本社代表取締役社長・販売担当
読売新聞東京本社代表取締役会長

1957年(昭和32年)東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。79年、読売新聞社入社。社会部次長兼法務室次長、グループ本社社長室長、東京本社常務取締役広報・コンプライアンス担当、同専務取締役広報・メディア担当、グループ本社専務取締役経営本部長・広報担当などを経て、2015年、東京本社代表取締役社長、17年からグループ本社現職。23年から東京本社現職。