第68回読売文学賞(2016年度)の受賞作と選評


 第68回読売文学賞の受賞作と選考委員の選評を紹介します。

小説賞

リービ英雄「模範郷」 確かにある沈黙

 『模範郷』には沈黙が描かれている。言葉の通じない者同士が、了解の合図を確かめ合うために生じる沈黙。何語にも言語化できないまま、しかし間違いなくそこに存在している沈黙。それらが確かな手触りを持って日本語の間から伝わってくる。リービさんは、通じない、できない、という否定に抗(あらが)い、気休めの言葉をあてがって誤魔化(ごまか)すのではなく、空白の渦中に深く身を沈めてゆく。そこに流れる無音に耳を澄ませる者のみが、『模範郷』を描くことができるのだ。

 今回の選考で改めて、母語とは何かを考えることは、自分とは何かを考えるのに等しいと思い知らされた。一見、作家の個人的な思い出を題材にしているようでありながら、本作が独りよがりの満足で終わっていないのは、やはり根源的な問いを掘り下げているからだろう。逡巡(しゅんじゅん)しながらその問いに行き着くまでの過程が、ごく自然にそのまま小説になっている。にもかかわらず、パール・バックとのつながりが浮かび上がってくる過程。あるいは、孫将軍が三十二年間監禁されていた元日本人市長宅の間取りが、子どもの頃暮らした家と全く同じだったことに気づく瞬間。等々、ダイナミックな展開も訪れる。リービさんは日本語にも、偶然にも祝福されている。(小川洋子)

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  りーび・ひでお 1950年、米カリフォルニア州生まれ。82年、「万葉集」の英訳で全米図書賞。92年、『星条旗の聞こえない部屋』で野間文芸新人賞。法政大国際文化学部教授。幼少期、「模範郷」と呼ばれた台湾・台中の旧日本人街に住んだ。89年から日本に定住する。

戯曲・シナリオ賞

ケラリーノ・サンドロヴィッチ「キネマと恋人」 漲る強度と輝き

 サイレントからトーキーへの移行期、都では二・二六事件が起き、物情騒然。そんな時代を背景に、都から遠く離れた島に一つきりの映画館という設定がまず心を揺さぶる。映画への憧れと島からの脱出の希望を重ね合わせることで、ヒロイン・ハルコの存在感は、インスパイアされたと思われるウッディ・アレンの「カイロの紫のバラ」のセシリアよりうんと切実なものとなって迫る。さらにハルコの夫電二郎、妹ミチル、映画館の雇われ支配人、売子(うりこ)嬢、娼婦(しょうふ)たち、といった島の住人たちが演じるドラマには上出来の人情喜劇の味わいがある。それをさらに濃く味付けしているのが、ケラリーノ語と呼ぶしかない島の方言だろう。

 夫の横暴にけなげに堪えているハルコだが、じつは彼女は驚くべき映画の見巧者なのである。彼女の憧れのまなざしの中には鋭い批評眼が宿っていて、まさかまさかの寅蔵はそのまなざしに射貫(いぬ)かれ、スクリーンの外へ誘出(おびきだ)されるのだ。架空の人間(アンドロイド)が自己意識を持った瞬間だ。全(ぜん)篇(ぺん)に漲(みなぎ)る強度と輝きはアレン作品を凌(しの)ぐ。売子嬢が「こん映画、傑作だり…」と言い、ラスト近くで、寅蔵の背中に「最高!最高がっさ!」と呼びかける胸のすくようなセリフは、この舞台をみている、あるいはこの戯曲を読んでいる我々の総意なのである。(辻原登)

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 1963年、東京都生まれ。劇作家、演出家。82年にバンド「有頂天」を結成、並行して演劇活動も開始した。93年に「ナイロン100℃」を旗揚げ。99年に「フローズン・ビーチ」で岸田國士戯曲賞、2002年、「室温~夜の音楽~」で鶴屋南北戯曲賞。

随筆・紀行賞

今福龍太「ヘンリー・ソロー 野生の学舎」 ソローに深い愛 

 『森の生活』で知られるソローの独創的な思想について理解するための最上の本である。と同時に自然と人間の関わりを根本から考えたい人のための、また人生の得難い価値を求める人のための優れた一冊でもある。さらに、真の「アメリカ」とは何かについて多くの示唆を与えてくれる一冊でもある。

 今福龍太氏は後記で、ソローが生きたころのアメリカ東部の社会は急激な産業化、教育制度の権威化、物質主義の横行などの「いまの私たちを取り巻く社会の矛盾がまさに現れはじめた時期」であり、「先進的な制度が人間に幸福をもたらすと信じられていた時代に、ソローはそれらにたいして根源的な問いを突きつけた」と書いている。そんなソローの問いがほとんどウォールデン湖畔に住み森を歩く生活からどうして生まれたか、本書は膨大なテクストを読み解きまことに具体的に明瞭に教えてくれる。「野生の(ワイルド)人間とは、意志を持った(ウイルド)人間のことである」(「日記」)。ソローの文章はすべて今福氏みずからの訳である。ソローが息づいている。そして、氏は幾らでも論文的に書ける本書の深い内容をエッセー風に語った。ソローは「自然が書きつけたものを深く読み取ろうとした」と語る氏も、ソローを澄んだ愛情で深く読みとっている。(伊藤一彦)

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 いまふく・りゅうた 1955年、東京都生まれ。文化人類学者、東京外国語大教授。2002年から巡礼型の野外学舎「奄美自由大学」を主宰。著書に『クレオール主義』『群島―世界論』『ブラジルのホモ・ルーデンス』『書物変身譚(たん)』など。

評論・伝記賞

梯久美子「狂うひと 『死の棘(とげ)』の妻・島尾ミホ」 真の神話的夫婦 

 戦時末期、南の小島に配属された文学志望の若い隊長と、島の巫女(みこ)を出す名家の少女とが恋に落ちる。戦後、二人は内地で結婚。文学活動を始めた夫は一女性と交渉を持ち、事実を知った妻は狂う。夫は妻の恢復(かいふく)のため彼女に寄り添う贖罪(しょくざい)の生活に入り、その果てに逝く。残された妻は夫を哀悼する日日(ひび)を生きる……戦後私小説の極北とされる『死の棘(とげ)』の作者島尾敏雄と妻ミホの生涯をかけた愛憎葛藤を巡って、心優しい詩人・批評家たちの織りあげた像を集約すれば、以上のようになろうか。梯久美子『狂うひと』は長い取材と丹念な資料の解読によって、この神話的夫婦像をほぐし、両者のエゴイズムの相剋(そうこく)を見つめ、新しい像の織りなおしを試みる。これを事実の暴露による神話の破壊というのは当たるまい。真の神話はしばしば恐ろしい事実を匿(かく)しているものだ。梯の渾身(こんしん)の作業から見えてくるのは文学、そしてその基の生きることの避けがたい毒。その前では妻も夫の情事の相手も夫さえもが犠牲者。ことに罪なく巻きこまれた二人の子、とりわけ幼く失語症に陥り深い心で半世紀を生きた娘マヤの像は痛ましいまでに美しい。ノンフィクションが文学を超えて真の神話を立ちあげる有効な方法であることを、この労作は静かに示している。(高橋睦郎)

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 かけはし・くみこ 1961年熊本県生まれ。北海道大卒。編集者を経て作家に。2006年に大宅壮一ノンフィクション賞を受けた『散るぞ悲しき』や『昭和二十年夏、僕は兵士だった』など戦争をテーマにした著作が多い。著書に『廃線紀行』など。

詩歌俳句賞

ジェフリー・アングルス 詩集「わたしの日付変更線」 歩み寄る二言語

 英語を母語として育った四十代の男が習得した日本語で書いた詩集である。

 しかし、まさか、日本語が上手だからの授賞ではない。この詩集は二つの言語を身の内に持った者だけが至れる境地があることを心地よく教えてくれるのだ。

 二つの言語によって彼は二人に分かれるが、しかしこの二人は分裂を嘆くのではなく、おずおずと歩み寄る。不器用にベッドと布団、サンダルと草履、ランチボックスとお弁当を交換し、やがて抱き合って愛撫(あいぶ)しあう(「翻訳について」)。

 言葉のセンスがよく、詩想が奔放で、機知が利いている。親知らずを抜く時に自分が母親の顔を知らないことを思い出す。歯医者は臼歯の角度から先祖の出身国がわかると言う。そう聞いた途端に「母音があふれるゲール語」が押し寄せる。二重三重の言葉遊びの果てに母を恋う情がひらりと舞う(「親知らず」)。

 決して深刻にならない。軽々と言葉を操りながら、自分のありようをしっかりと見て揺るがない。二重言語者であることをハンディキャップではなくアドバンテージとして、詩を書く。

 流浪の後、この言葉の地に着いて一安心、「その無国籍の言葉を聞き/追いかけてきた孤独の狼は/門外の闇に消えていく」(「無縁という場」)。(池澤夏樹)

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 1971年、米・オハイオ州コロンバス市生まれ。詩人、西ミシガン大教授。折口信夫や江戸川乱歩の小説から伊藤比呂美さんの現代詩まで、幅広く日本文学の英訳も手掛ける。本作は、日本語の第1詩集。

研究・翻訳賞

塩川徹也・訳 パスカル「パンセ」全3冊 血肉与える注釈

 パスカルといえば、クレオパトラの鼻だ。その鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう、と格言的に使われる。

 実は鼻の高低が問題ではない。「それがもっと短かったなら」(前田陽一・由木康訳)が原文に忠実な訳である。

 ただし短い鼻はイメージするのが難しい。今回の塩川徹也訳では「小ぶり」な鼻となり、ようやく『パンセ』が文学の日本語になった。

 『パンセ』は文学か、という根源的な問いかけが選考会では為(な)された。キリスト教護教論のはずが、作者の死できらめく断片の束が残った。断片の間には照応関係があり、読者が想像力を働かせれば、大聖堂の幻が、一瞬だが脳裏に影を落とす。『パンセ』は「残された原稿と読者の協働によって作り出されるテクスト」なのだ。

 私の知人は、メモ程度の走り書きが多い下巻に、心を揺さぶられた。パスカルが残した聖書の引用が、注で血肉を与えられて、重層的に迫ってくるのを、受け止める体験は歓(よろこ)びだ。こうして葦(あし)は、考えることを学ぶ。

 文学の賞にパスカルが入ったことの意義は大きい。21世紀の荒野に、人間とは何か、問い続けるパスカルの声が響く。神が信じられなくても、パスカルだけは信じようと思う。(荻野アンナ)

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 しおかわ・てつや 1945年生まれ。パリ・ソルボンヌ大第三期課程博士号取得。東大名誉教授(フランス文学・思想)。日本学士院会員。著書に『パスカル 奇蹟と表徴』、『パスカル「パンセ」を読む』、『パスカル考』(和辻哲郎文化賞など受賞)ほかがある。


(2017年2月1日 読売新聞)