第69回読売文学賞(2017年度)の受賞作と選評


 第69回読売文学賞の受賞作と選考委員の選評を紹介します。

小説賞

東山彰良「僕が殺した人と僕を殺した人」 少年の圧倒的な体温

 すぐれた作品はジャンルの境をやすやすと行き来する。その事実を証明してみせた小説である。主語の“ぼく”と“わたし”がある一瞬交差し、お互い引き留めようもなく遠ざかってしまう構造の厚み。どちらが犯人でどちらが弁護士か、少しずつ明らかになる緊張感。その過程に散りばめられた、布袋劇やロボットダンスや一九八四という数字の意味のつながり……。何もかもが上手(うま)い。上手いことは時に、あざといと解釈される場合もあるが、本作には小手先の計算などけ散らす、少年たちの圧倒的な体温が満ちている。彼らは、単なる巧みさを超越した深みにまで、読み手を引きずり込んでゆく。

 とにかく、厳しい家庭環境の中、親しみ合い、時に反発し合いながら日々を送る、台湾での少年たちの描写が素晴らしい。屈折し、かげりを帯びたエネルギーは、例えば、月桂樹(げっけいじゅ)の根元の水たまりで死なせたオタマジャクシが、幹の中を泳ぎ回って咲かせる、黄色い花のイメージに重なり、更にその花は、生と死、正気と狂気の渦に溺れる彼らの運命を象徴することになる。あるいは、日射病で倒れたジェイのおじいさんに代わり、急遽(きゅうきょ)ユンが布袋劇を演じる場面。死んだ兄を思い、こっそり描いてきた漫画のストーリーを披露して拍手喝さいを受ける彼の、何と輝かしく、切ないことか。こうした“ぼく”の告白の裏側には、決して報われることのない愛が潜んでいる。

 いたましいほどに美しい少年小説の誕生を、喜びたい。(小川洋子)

     ◇

 ひがしやま・あきら 1968年、台湾・台北市生まれ。9歳で福岡市に移住。西南学院大大学院修士課程修了。中国留学を経て、2003年、『逃亡作法』で作家デビュー。15年、『流(りゅう)』で直木賞。16年に『罪の終わり』で中央公論文芸賞。

▶東山さんの写真はこちら

随筆・紀行賞

保苅瑞穂「モンテーニュの書斎 『エセー』を読む」 悩める者へ門戸開く 

 選考会の席で、この作品の文体に関して、賛嘆のため息が方々から漏れた。中でも「清潔」という評価が、最もふさわしいものとして耳に残った。

 プルースト研究で知られる著者が、同時にモンテーニュの良き読者であるということは、エベレスト踏破の翌日にキリマンジャロを制するほどの力技といっていいだろう。

 近代小説の散文を熟知する立場から解読されたモンテーニュは、前近代的なウネクネ文体の枝葉を掻(か)き分けたところに、近代的な描写や時間認識を隠し持っていると当書に教えられた。さらにデカルト以来の近代合理主義が自然を征服の対象とみなしたために生じた齟齬(そご)を、個人の意識のレベルで乗り越えるためのヒントを、モンテーニュ越しに保苅氏はわれわれに届けようとする。

 意外なことに保苅氏は遅読家を自称している。「読みたいと思う本は、活字を目で押さえるようにして読む」という。まさにモンテーニュが古典を読む際の姿勢であり、対象を自家薬籠中のものとするプロセスにおいても、2人はその輪郭が重なる。

 引用の多いモンテーニュを、さらに引用として取り込んだ本書は、知の合わせ鏡として、読む者に快い眩暈(めまい)をもたらすだろう。

 同時に各章ごとに明確なテーマが打ち出されており、生老病死、愛と友情、いずれの局面に悩む読者にもその門戸は開かれている。

 芳醇(ほうじゅん)な随筆は、入門書として読める専門書でもある。この上なく贅沢(ぜいたく)な一冊だ。(荻野アンナ)

     ◇

 ほかり・みずほ 1937年、東京生まれ。東京大大学院人文科学研究科博士課程中退。東京大名誉教授、独協大名誉教授。専門はフランス文学。主な著書に、『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』『プルースト・印象と隠喩』など。

▶保苅さんの写真はこちら

評論・伝記賞

米本浩二「評伝 石牟礼(いしむれ)道子 渚に立つひと」 人物像 生き生きと 

 石牟礼道子についての評伝である。著者は三年にわたって集中的な密着取材を行い、四〇〇時間をゆうに超える時間を石牟礼さんとともに過ごし、彼女の全体像に迫った。精神を病んだ祖母から、両親、夫、息子、長年にわたって彼女を支えてきたサポーター、彼女の魅力に惹(ひ)かれて会いにくる作家たちまで。そのすべての中心にいた石牟礼道子の生涯については、自殺をはかり、「魂が吐血するように」作品を書き始めた若き日から、老人ホームにいてもなお自分の手料理で人をもてなそうとする今に至るまで。すべて生き生きと浮かび上がってくる。

 もちろん、それだけではない。本書は最初期の作品『不知火』から『苦海浄土』を経て、最新作に至るまで、石牟礼作品を作者の生涯と重ね合わせながら丁寧に読みほどく文芸評論でもある。さらに、水俣病闘争を支えた人々の素顔を描くことを通じてこの事件の本質に改めて迫る、という鋭い社会批評の側面も備えている。

 しかし、本書の最大の功績は、「石牟礼道子といえば社会問題を扱った記録文学作家」という思い込みから、読者を自由にしてくれるところにある。『苦海浄土』という二〇世紀の世界文学の中でも屹立(きつりつ)するような文学の奇跡が、どうして可能になったのか――そのことを考えるためのヒントが本書には詰まっている。近代と前近代、理性と非合理、正気と狂気、現実と超越的な世界、生と死――これらのはざまを生き抜いた「渚に立つひと」の姿を、米本氏は終始畏敬の念をこめて描き出すことに成功した。(沼野充義)

     ◇

 よねもと・こうじ 1961年、徳島県生まれ。早稲田大在学中「早稲田文学」編集に携わり、毎日新聞社入社。現在、毎日新聞西部本社福岡本部学芸部で文芸担当記者。著書に『みぞれふる空――脊髄小脳変性症と家族の2000日』。

▶米本さんの写真はこちら

詩歌俳句賞

山口昭男 句集「木簡」 手垢洗い流す純潔さ

 五七五音律の俳句はおそらく世界文学最短の定型詩で、連歌・俳諧時代から数えると八百年の歴史を持つ。その俳句に対して、しばしば二つの問いが提出される。第一は、そんな短い詩型では表現内容が極めて限定されるのではないか、というもの。第二は、そんなに長い歴史を経た現在、そんな短い詩型に盛ることは尽き、新しい表現は期待しえないのではないか、というもの。

 以上二つの問いに対して、私は以下のように答える。一、長さの決まっていない自由詩や小説にしか表現できないものがある反面、最短の俳句にしか表現できないものがある。二、真の新しさは現象的ではなく本質的、しばしば古いものに本質的な新しさが光っているではないか。

 この二つの答えの模範のような一冊が登場した。山口昭男句集『木簡』。昨年一年間に出版された詩集・歌集・句集中の白眉だ。次にとくに心に残った七句を並べよう。

 鳥の目のぼんやりとある深雪(みゆき)かな

 東(ひんがし)の空の色なる杜若(かきつばた)

 仏壇も仏も洗ひ家暑し

 爐開(ろびらき)の雨粒ならば少し尖(とが)る

 蒲団(ふとん)より綿の見えたる涅槃(ねはん)かな

 三人で運ぶ絨毯百千鳥(ももちどり)

 空海の真白き肌(はだえ)蘆(あし)の角

 ついでにいえば、この句たちの無欲さ・純潔さは、実作者が知らず知らず身につけている手垢(てあか)、読者が気づかず持っている目垢を洗い流してくれる。そんな清品は、文学全体を見渡してもめったにない。(高橋睦郎)

     ◇

 やまぐち・あきお 1955年、兵庫県生まれ。岡山大卒。元公立小学校長。教員生活の傍ら俳句を始め、波多野爽波(はたのそうは)、田中裕明に師事。2010年、主宰誌「秋草」を創刊する。句集に『書信』『讀本(とくほん)』。本作は第3句集。

▶山口さんの写真はこちら

研究・翻訳賞

関口時正・訳 ボレスワフ・プルス「人形」 正に名作の安定感

 ヨーロッパの小説は十九世紀に一つの完成に達した。ディケンズやスタンダール、トルストイなどの、国民文学にして世界文学である傑作が次々に生まれた。

 それらと同じレベルの名作なのに日本への紹介が遅れたのが、イタリアのマンゾーニ『いいなづけ』であり、ポーランド語で書かれた本書である。

 ボレスワフ・プルスの『人形』は全一巻、千二百ページを超える大著だ。そしてこれを読む喜びは『デイヴィッド・コパーフィールド』や『パルムの僧院』を想起させる。話の流れに身を任せて読める安定感が正に十九世紀。

 主人公はヴォクルスキという才覚ある男で、ワルシャワで雑貨屋をデパートにまで拡大する一方で、貴族階級の無情の美姫に恋をし、更に国外遠くへ謎めいた旅に出る。これが一八七八年ごろのことで、その間に彼の親友ジェツキの一八四八年あたりの兵士としての冒険の回顧が何度となく挟み込まれる。

 文体は平易で、地名やモノの名がたくさん書かれ、動詞も具体的で、抽象論に走ることがない。初出が新聞連載だったのがうなずける。それでいて長い構成に破綻がない。

 登場人物の数が多く、彼らの行動は詳述されるが、その心理の奥には踏み込まない。社会というものの存在感が強く、東のロシアと西の列強に挟まれたポーランドの悩みが人々を通じて描写される。

 訳文は達意で、少しだけ古風で、正に十九世紀の小説を読んでいるという実感を保証するものだ。(池澤夏樹)

     ◇

 せきぐち・ときまさ 1951年、東京生まれ。東京大卒。ポーランド政府給費留学生として同国に留学。東京外国語大でポーランド文化を教え、現在は同大名誉教授。著書に『ポーランドと他者』。共訳書に『ショパン全書簡1816~1831年』など。

▶関口さんの写真はこちら


(2018年2月1日 読売新聞)