第12回読売あをによし賞

 文化財の保存・修復に多大な貢献をした個人や団体を顕彰する「第12回読売あをによし賞」の受賞者が決まった。58件の応募があり、本賞には、菅笠(すげがさ)をはじめとする伝統的な菅細工(すげざいく)の製作技術を継承してきた「深江(ふかえ)菅細工保存会」(島谷真由美会長、大阪市東成区)が選ばれた。奨励賞は、高級畳の材料として知られる大分県・国東(くにさき)地方の「七島藺(しちとうい)」の存続を図るために活動している「くにさき七島藺振興会」(林浩昭会長、大分県国東市)、特別賞は、古代日本の中心だった奈良県飛鳥地方などに残る歴史遺産の保存、活用に取り組む公益財団法人・古都飛鳥保存財団(和田林道宜(みちよし)理事長、奈良県明日香村)がそれぞれ受賞した。

菅笠作りを未来へ

本賞

深江菅細工(すげざいく)保存会

  •  大阪市東成区深江地区で、16人の会員がカヤツリグサ科の植物カサスゲを使って菅笠や円座、釜敷きなどの菅細工を作り、小学生らに技法を教えている。会長の島谷真由美さん(53)は「地域ぐるみでコツコツ続けてきた活動が評価され、大変光栄。伝統文化を継承する使命感、責任感が増しました」と喜ぶ。

     深江の菅笠作りは第11代垂仁天皇の頃、大和国(奈良県)で菅加工を職能とした笠縫(かさぬい)氏が、湿地帯で菅が豊富だった深江に移住したのが起源と伝わる。平安時代の法令集「延喜式」には、伊勢神宮の式年遷宮の際に菅笠を納めたと記される。その質の良さは有名で、江戸時代の伊勢参りが題材の上方落語「東の旅 発端」にも、旅人が深江笠を買う場面が描かれる。明治期には欧米にも輸出された。

     菅笠作りは、主に女性が農閑期の仕事として担ってきた。竹の骨組みに約150本の菅を1本ずつ縫い込んでいく。直径50センチの笠を作るのに約5000針、30時間はかかる。熟練した技術が求められ、一人前になるには5年必要という。

     しかし、こうもり傘などの普及で需要は減少。1950年代には宅地化で菅田が姿を消し、80年代には日常的に菅細工を作るのは島谷さんの母、幸田正子さん(80)だけになった。


 「技術が途絶えてしまう」と危機感を募らせた幸田さんは88年、地域の女性5人と保存会を結成。教室を開いて、未経験者を一から手ほどきして職人を育てた。93年、2013年にあった伊勢神宮の式年遷宮では、直径1・7メートルの菅笠を4枚奉納。献納の伝統を守った。

 07年には地元の公園に菅田を復元。深江の菅細工は1999年に大阪市指定無形文化財、2016年に大阪府伝統工芸品になった。同年、幸田さんから会長を引き継いだ島谷さんは「集まって作業すると世間話にも花が咲き、地域の結びつきが強くなった。受賞を励みに、技術を未来につなげていきたい」と力を込めた。

地場産業として再生 

奨励賞

  • くにさき七島藺(しちとうい)振興会

 畳の材料として、江戸時代から昭和にかけて全国に出荷された大分県特産の七島藺。生産者の高齢化などで消滅の危機にあったが、地域の伝統産業を受け継ごうと、2010年から復興に取り組んでいる。事務局長の細田利彦さん(62)は「受賞を機にさらに活動を広げたい」と意気込む。

 七島藺は南西諸島原産のカヤツリグサ科の植物で、藺草(いぐさ)とは別の種類。17世紀中頃に現在の大分県に伝わり、栽培と製品化が始まった。藺草より耐久性があって色つやや肌触りも良く、農家や商家、柔道場の畳に使われた。1950年代には年間500万枚以上を出荷する全国一の産地だった。

 しかし栽培しやすい藺草に押されるなどし、県内各地にいた生産者は、2009年には国東市の5軒だけになっていた。細田さんは「単に伝統を残すのではなく、どこにもない地場産業として再生させたかった」と振り返る。

 国の補助金で若者を雇用して農家の作業を支援し、継続するよう協力を依頼。七島藺製品の作り手を育成するセミナーも開いた。知名度やブランド力向上のためイベントでの広報活動に力を入れ、円座やアクセサリーなども手がけている。

 今では若い世代の新規参入もあって、生産者は7軒となり、注文も増えているという。4年前にUターンして就農した、畳表の織り職人でもある同会の諸冨(もろとみ)康弘さん(56)は「一人でも多くの人に七島藺の良さを知ってもらいたい」と語る。

「心のふるさと」を守る

特別賞

公益財団法人・古都飛鳥保存財団


 飛鳥時代に都が置かれた奈良県明日香村などの飛鳥地方に残る歴史遺産の保存、活用を目的に1971年に設立された。発掘調査や文化財の保存活用事業への助成のほか、72年に同村で見つかった高松塚古墳の極彩色壁画(国宝)の模写を展示する高松塚壁画館などを運営し、情報発信にも力を入れる。2011年には、全国の古都で同様の活動をしてきた古都保存財団(東京都)を吸収合併した。

 設立に尽力したのがパナソニックの創業者、松下幸之助氏だ。開発の波が村に押し寄せた高度経済成長期に、「飛鳥は日本の心のふるさと」として政府に保存を働きかけ、初代理事長に就いた。財団は今も民間主体で、理事長を務める近畿日本鉄道の和田林道宜社長(66)は「地道な活動が評価され、ありがたい。期待と励ましと捉え、次世代に受け継いでいく」と決意を新たにする。


 高松塚古墳壁画の発見直後は観光客が押し寄せ、ゴミのポイ捨てが問題になったが、財団で啓発冊子を配り、ゴミ箱を設置するなど美化運動に取り組んだ。今ではゴミも少なくなり、杉平正美事務局長(64)は「文化財保護と観光誘客はぶつかり合う永遠のテーマ。マナーの徹底を呼びかけ続け、当たり前のことを定着させられた」と胸を張る。

(2018年5月2日読売新聞)