第71回読売文学賞(2019年度)の受賞作と選評

小説賞

島田雅彦「君が異端だった頃」 貫いた 探索の筋

 圧倒的な共感のうちに読み終えた。“島田雅彦”と名付けられたトリックスターたる存在「君」の幼少年時代に遡って(両親の出会いまで含む)、多摩丘陵の森をさまよい、「ここは何処(どこ)?」と山鳩(やまばと)のように鳴(泣)いていた「君」は、やがて森から飛び立って、賑(にぎ)やかでいかがわしかった一九七〇年~八〇年代の荒野を、才智(さいち)溢(あふ)るる小説志願の騎士となって遍歴する。「風車の冒険」もあれば「モンテシーノスの洞窟の夢」もある。勲(いさおし)と敗北、失意と得意を縄のように糾(あざな)って、「君」の息子の誕生(七月)と中上健次の死(八月)が重なった一九九二年で物語は終わる。

 この作品の読み応えは何処から来るのか? それは、「自分とは何者か」「私はどこから来てどこへ行くのか」というモラリストとしての強い探索の筋が一本通っているからだ。そういう意味ではスタンダールの『アンリ・ブリュラールの生涯』を思い出してもいいかもしれない。
 二人称「君」による語り、というより呼び掛けが著しい効果を挙げて、不思議な俯瞰(ふかん)感と立体感を読者に与える。「君」が疲れて元気が無くなると、「君は私で、私が君だ」と励まし、息を吹き込む。その呼吸も見事で、物語のラストのフレーズもこれだ。深い意味でこれは完璧な小説である。(辻原登)

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 しまだ・まさひこ 1961年、東京都生まれ。作家、法政大国際文化学部教授。83年、東京外語大在学中に「優しいサヨクのための嬉遊曲」でデビュー。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞。『彼岸先生』で泉鏡花文学賞。『退廃姉妹』で伊藤整文学賞。

随筆・紀行賞

津野海太郎「最後の読書」 問われる咀嚼力 

 スルメのような一冊である。噛(か)みしめるほどに味わい深い。読む側の咀嚼(そしゃく)力が問われる、と言い換えても良い。

 積み木の代わりに本を積み上げて作った秘密の小部屋のようでもある。中に入ると、著者がざっくばらんに語りかけてくる。読者という旅人に、一杯の茶を差し出す手つきは、人生の達人のそれである。

 第1章は「読みながら消えてゆく」。病に倒れた鶴見俊輔が、対話と執筆の能力を失った後も、晩年を読書に明け暮れた姿が描かれる。80歳を超えた津野氏の手にかかると凄(すご)みがある。それでいて「もうろく帖(ちょう)」を書き残した鶴見の巧(たく)まざるユーモアが見事にすくい取られている。

 他にも「目のよわり」やら「記憶力のおとろえを笑う」など章のタイトルは老いを前面に打ち出しているが、読後に残るのは年月を経た美酒のコクである。

 日本古典の現代語訳を積極的に評価する段になると、老いを突き抜けた感性の瑞々(みずみず)しさに驚かされる。文学は若返りの泉でもあろうか。真摯(しんし)に関わる者は世塵(せじん)にまみれず、本質を見失うことがない。津野氏の描く群像の背後には時代があり、文明批評としても読むことができる。随筆とは万華鏡と見つけたり。(荻野アンナ)。

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 つの・かいたろう 1938年生まれ。早稲田大卒業後、劇団「黒テント」演出、晶文社取締役、「季刊・本とコンピュータ」編集長、和光大教授などを歴任。『滑稽な巨人』で新田次郎文学賞、『ジェローム・ロビンスが死んだ』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

評論・伝記賞

礒崎純一「龍彦親王航海記 澁澤龍彦伝」 人間「澁澤龍彦」を知る 

 澁澤龍彦は、書かれた作品だけではなく、その人自身にまつわる魅力すなわちカリスマをもつ作家である。亡くなって久しい今も雑誌などで特集が組まれ、時の彼方(かなた)に沈みこんでゆくことがない。ただ、どんなにくわしい特集や展示でも、なぜだかいつも「まだ知り足りない」という気持ちをいだかせられるのは、不思議だった。作品や活動が多岐にわたっているからだけではなく、「澁澤龍彦」という、まるでその人自身が芸術作品であるかのごときこの作家の、奥の奥にあるものが、通常の見せ方では掴(つか)みづらいからかもしれない。

 本書は、澁澤龍彦に近かった人びとへの多層的なインタビューと資料をたんねんにつみあげ、どのように「澁澤龍彦」という人物ができあがっていったかを追った評伝である。作者礒崎氏は澁澤の最後期の担当編集者だそうだが、澁澤礼賛に偏ることなく、また情緒に流されることなく、毀誉褒貶(きよほうへん)ひっくるめた膨大な情報を、たんたんとかつ公平に置いた。その結果、芸術作品「澁澤龍彦」のうしろにいる、人間「澁澤龍彦」が、平明な文章の中にくっきりと浮かびあがってきた。本書を読んで、人間「澁澤龍彦」を知った読者は、作品「澁澤龍彦」を、さらに愛するようになるにちがいない。(川上弘美)

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 ◇いそざき・じゅんいち 1959年、神奈川県鎌倉市生まれ。慶応大文学部仏文科卒。国書刊行会出版局長。これまで編集した本に、『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』『定本久生十蘭全集』『日影丈吉全集』『バベルの図書館』『日本幻想文学集成』などがある。

詩歌俳句賞

川野里子 歌集「歓待」 介護という「歓待」

 歌集「歓待」を貫く主題は作者の亡くなった母親の介護記録だが、いわゆる介護短歌・介護文芸を超えている。そのゆえんは思うに作者と母親の物理的・心理的距離と二人を囲む時空の捉えかたにあるようだ。

 まず母親の入所先は九州で、作者の生活域は関東。いきおい、作者の介護は遠距離・短期間滞在の繰返(くりかえ)しにならざるをえず、日常の介護はホーム・スタッフに委ねざるをえない。彼らスタッフの献身というほかない日日の仕事を作者は歓待と呼び、歓待こそ時代への抗(あらが)いというが、さらに拡(ひろ)げて見るなら作者もスタッフもそして抗いの対象たる時代も、逆に病者の生と死とに歓待されているとはいえまいか。

 また歓待のかたちの一つとして生と死とが齎(もた)らす文芸があり、歌があるとは? その顕著な現われとしての歌を集中から三首だけ引こう(歌集の歌の順序は逆編年体となっていて、期せずして作者のいう歓待の相を深める用意となっている)。

 母死なすことを決めたるわがあたま気づけば母が撫(な)でてゐるなり

 家背負ひ思ひ出を背負ひ自らを背負ひ老母(はは)ゆくちよつとそこまで

 わが裡(うち)に祖母や曾祖母、祖父、曾祖父あつまりてきぬひそひそ話す(高橋睦郎)

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 かわの・さとこ 1959年、大分県生まれ。千葉大大学院修士課程修了。歌人。馬場あき子に師事。歌誌「かりん」編集委員。歌集『王者の道』で若山牧水賞、『硝子(ガラス)の島』で小野市詩歌文学賞。評論集『幻想の重量 葛原妙子の戦後短歌』で葛原妙子賞。

研究・翻訳賞

千葉文夫 「ミシェル・レリスの肖像」 知と感性の均衡

 わが国での知名度がさして高くないことが惜しまれるレリスは、二十世紀フランスを代表する作家の一人であり、その文学史的重要性は、私見によればほとんどプルーストにさえ匹敵する。初期にはシュルレアリスムに参加し、やがて民族学者としても一家をなし、振幅の大きな活動を行なったレリスだが、彼の業績の頂点は、『ゲームの規則』という総題を持つ、異様に精緻(せいち)な文体で綴(つづ)られた途方もない自伝四部作である。

 「私とは何か」という問いを基底に置くこの巨大な精神世界に、千葉文夫は「肖像」というテーマから切り込んで、言葉とイメージの共振作用を鮮やかに炙(あぶ)り出してみせた。マッソン、ピカソ、ジャコメッティ、ベーコンなど一群の大画家がレリスのポートレートを残しているが、他者が描いたレリスの「私」を、レリス自身はどのように受けとめたのか。また画家と文学者とのこの精神的遭遇が、『ゲームの規則』の執筆にどのような影を落としているのか。作品の内在的分析と人物相互間の交流の探求とを絡み合わせつつ、千葉氏の考察は最終的に、描く主体、描かれる客体の双方にとって、「肖像」とはいったい何かという文化史的な根本問題にまで及ぶ。知と感性の見事な均衡を示す野心的な労作である。(松浦寿輝) 

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 ちば・ふみお 1949年生まれ。パリ第一大博士課程修了。早大名誉教授(仏文学)。著書に『ファントマ幻想』。訳書にレリスの『角笛と叫び』『ミシェル・レリス日記』、スタロバンスキー『オペラ、魅惑する女たち』など。

(2020年2月2日 読売新聞)