第65回全国小・中学校作文コンクール 文部科学大臣賞3点の要約

 文部科学大臣賞3点を要約して紹介します。(敬称略)

中学校

「夢の跡」
静岡・静岡サレジオ中2年 高田愛弓(たかだ・あゆみ)

 父が、逮捕された。

 自宅には家宅捜索が入った。毎日「いってきます」と「ただいま」を繰り返す門扉は、マスコミ陣で埋め尽くされた。

 2015年5月26日、夕刻のことである。

 6人の警官が玄関先で卵のパックに収まっているかのように待機する中、母は親戚に電話をして、駅前のビジネスホテルを押さえてもらうと、祖母に連絡を取り、そこから叔母が私を迎えに行くように手筈(てはず)を整えた。

 テレビドラマでしか観(み)たことがないようなことが自分の家で起こっている。しかし、私はその現実を巨大なシャボン玉の中から眺めているような違和感でしか受け止められなかった。「渦中の人」は、台風の目の中にいて、時の流れが他と少し違うところにいるものなのだ。

 父の容疑は「公職選挙法違反」である。先に行われた市長選挙に、妹である私の叔母を立候補させ、告示前にもかかわらず、「事前運動」を行い、また、その際、ボランティアを雇い、その報酬として金を払ったことが「利害誘導」に当たるというのである。

 5月の連休明けに、叔母の陣営を手伝ってくれた市議が任意同行された。市議はその日のうちに逮捕され、マスコミは落選したうえ、違反者を出したと騒ぎ立てた。父はプロの選挙プランナーを雇っており、「選挙に落ちても違反は出すな」と細心の注意を払って取り組んできた。プランナーの決定事項イコール実行だったと私は聞いている。

 やがて父は不眠症になり、精神的にも追い込まれ、不安定な日々が続いた。そして、父は本当に逮捕されることになった。

 ホテルに到着すると、祖父母と合流することが出来た。なるべく普段通りに振る舞おうとする姿に、逆に痛々しいくらい私を気遣っているのを感じる。

 私は周りが心配する程弱い人間ではない。ただ、明日、学校に足を踏み入れるために、いつもの百倍、勇気がいることは確かだった。母は、「大丈夫。いつも通り、行けばいいよ」と両肩を軽く叩(たた)いた。

 一番初めに会ったクラスメイトは、「あ、高田さん、おはよう」と、いつもと全く変わらない笑顔で挨拶(あいさつ)してくれた。次に会った人も、その次の人も、クラス中が何も知らないみたいに、日常生活を与えてくれた。全員が自然な形で私と接してくれていることの中に、「分かっているよ」という言葉が込められているような気がして、張りつめていた神経がほぐれていくのを感じた。

 裁判所で保釈請求が受理されると同時に、父は起訴された。保釈当日はホテルに泊まり、翌日父は家に戻った。父は、私と母を片方ずつの腕で抱きかかえ、「本当によく頑張ったね。いろいろと迷惑をかけて、ごめんね」と言って、謝った。他にも様々なことを言っていたが、私は胸がいっぱいだったので、よく覚えていない。親から面と向かって謝罪されることなど、めったにないので、私はどうしたらいいか分からなかったし、照れくさい気持ちもあった。

 選挙は、踊り狂った祭りのように盛り上がって過ぎ去り、その後、頭から冷水をかけられたようにその「酔い」から興覚めした。膨大な資金を「選挙」という魔物に食われた。

 しかし、私自身は多くのことを学べたと思うし、精神的にも成長できたように思う。

 両親や家族を選ぶことはできない。しかし、私はここに生まれてきたことを感謝したいと思う。家族への信頼や愛情は、当たり前すぎて見えないが、大きな波が押し寄せてきたときに、どうやって自分たちを守ろうとするかで、くっきり、はっきり感じることができる。

 周りを見渡した時、この家族や親戚がいれば大丈夫。どんなことでも、これからも乗り越えられると思う根拠が、この顔ぶれにはある。

 立ち止まらなければ、必ず次に乗る船は見えてくる。私はそう信じている。

 2015年9月25日、父に懲役1年6か月、執行猶予5年の判決が言い渡された。(指導教員・村田宏)

 【講評】衝撃的な書き出しから読み手を引き込み、80枚近い長編を一気に読ませる筆力に圧倒された。事実を伝えたいという強い思いが生んだ、類いまれな秀作である。抑制の利いた的確な文章は、作者がこれまで培ってきた観察力と、ものごとを考え抜く力のたまものであろう。満場一致、最高得点で授賞が決定した。(梯久美子)

小学校高学年

「農業体験で感しゃの心が」
宮崎・日向市立日知屋東小5年 安田瑶(やすだ・よう)

 「今年もおいしい野菜をたくさん作るぞ」

 ぼくは右手を高く突き上げました。いよいよ財光寺農業小学校の始まりです。

 「農業小学校ってどんな学校?」。よく質問されました。

 「はい、子ども達(たち)が農業の体験をする学校です」

 「いつ、どこで、どんな野菜を、どのくらい作るの?」

 「はい、毎月第1、第3土曜日に活動します。場所は、この町の西側にある小高い山のふもとにあります。毎年約30種類の季節の野菜を作ります」

 「誰が教えているの?」

 「はい、シニアのおじいちゃん達が先生です」

 平成27年4月18日。子ども29名、シニア生徒9名の第7期生が入学しました。

 学校の農場には、個人農園と集団農園があります。個人農園は、一人あたり10つぼ(約33平方メートル)が与えられます。きちんと区割りされ、一人ひとりの名前が書かれた大きなネームプレートが立っています。集団農園は、みんなで管理をします。広さは約200つぼ(約660平方メートル)もあり、作物はカボチャ、トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモなどを植えます。

 去年の春、ぼくは4年生で第6期生として正式に入学することができました。念願のぼく用の畑をもらいました。

 自分の手で収かくしたトマトは、びっくりするくらい甘く、「トマトって、こんなにおいしいのか」としょうげきを受けました。ピーマンやナスなどにもちょう戦して、スーパーで買う野菜との味のちがいにおどろきながら、どんどん野菜ぎらいがなくなりました。

 自然が相手の農業。楽しみにしていたトマトの全めつ、きずや曲がりくねったキュウリやナス。それに台風。「くやしい!」と思ったことが何度もあります。しかし、喜びもあります。収かくした野菜のとびきりの味、おじいちゃんやおばあちゃん、近所の人におすそ分けした時の顔、支柱にうまくからまった時のキュウリの姿、こんな喜びをあげたらきりがありません。

 ぼくはこの農業小学校で学べることに感しゃしています。農業体験を通して、気持ちをこめて「いただきます」と言えるようになった気がします。

 ぼくがなまけそうになると、しかった両親でしたが、一生けん命にぼくを支えてくれました。いつも一緒に登校し、畑仕事を手伝ってくれる父や母に感しゃしています。

 財光寺農業小学校に通っているうちに、なんだかこの感しゃの心もふえるようになった気がします。「ありがとうございます」の心が。(個人応募)

 【講評】「農業小学校」――この不思議な言葉をていねいに説明することからこの作文は始まります。そして、独特な活動内容、筆者の苦労と喜び、周囲の人々への感謝、すべてが細やかに丹念につづられていくのを読むうち、自然と心が温まります。読み手の立場で書くことの大切さを改めて教えられた気がしました。(石崎洋司)

小学校低学年

「わたしがえ顔にしてあげる!!」
高知・四万十市立西土佐小2年 石本(いしもと)るん

 「るんちゃん、ママは、うれしかったよ。ばあちゃんのこと、やさしくしてくれて、ばあちゃんをえ顔にしてくれて本とうにありがとう」とママが、帰りの高そくどうろをうんてんしながら、なき出しました。ママのほっぺたをなみだがながれ、ポトポトとおちていきました。

 「ママ、うんてん中にあぶないで! どうしたが?」

 ママのお母さん、えひめにすむママばあちゃんは、「じゃく年せいアルツハイマー」というびょう気です。もう、しんだんをうけて4年になります。今、ばあちゃんは63さいです。

 ばあちゃんは、やさしくてせわずきな人でした。そんなばあちゃんが、さがし物をしたり、わすれ物ばかりするようになりました。家でのかいごもげんかいになって、ばあちゃんには、しせつに入ってもらうことになりました。しせつであばれ、めいわくをかけてしまい、おい出され、あちこちのしせつやびょういんをまわりました。

 わたしは、夏休みのはじめに、ママとしせつへ会いに行きました。え顔もなく、会話もつながらないばあちゃんと一しょにお茶をのみました。そして、わたしが、「ばあちゃん、じゃんけんしよう! できるかな?」

 「さあ、じゃんけんらぁ、知らんし、したことないで!」

 「できる! できる! 大じょうぶ。さぁ、やるで! じゃんけんぽん!」

 「やったぁ! ばあちゃんかちや! わたしのまけ!」

 ばあちゃんは、じゃんけんをわすれてはいなかったのです。わらわなかったばあちゃんの顔が少しあかるくなりました。

 「つぎは、にらめっこ! わらったらだめよ、アップップ」

 ばあちゃんが、ふき出しました。わたしは、へん顔をいっぱいしました。ばあちゃんもいっぱいわらってくれました。すると、それを見たおばちゃんが、「こんなにわらうこともひさしくなかった。るんのおかげや!」となみだぐんでいました。

 ばあちゃんはたしかにびょう気です。でも、わたしは、ママばあちゃんが大すきです。ばあちゃんがわらうと、ママやみんながえ顔になりました。え顔の力も知りました。ママばあちゃんがいてくれたから、ママやおばちゃんが生まれ、そして、わたしが生まれました。いのちのバトンリレーでつながっていることをかんじました。

 ばあちゃんがわすれてしまっても、わたしたちがばあちゃんのことをいっぱいおぼえていてあげたいし、おちこむママやばあちゃんをこれからももっとわらわせていきたいです。

 ばあちゃん!! また、会いにいくよ、元気でいてね。またいっしょにじゃんけんしようね。(個人応募)

 【講評】作品は、日本の深刻な社会問題の一つである介護を巡る家族の問題を鮮明に浮き彫りにしています。でも、石本さんの天使のような温かく広い心が、笑うことを忘れた「ママばあちゃん」に笑顔と様々な能力がまだ十分に備わっていることを家族に理解させ、明日への希望の光を与え、全てを救ってくれています。(新藤久典)

(2015年11月30日 読売新聞)