第44回医療功労賞 全国表彰者の横顔

 「第44回医療功労賞」の全国表彰者12人が決まった。内訳は国内部門9人、海外部門3人。へき地など厳しい環境にもかかわらず、献身的に医療活動に励んできた受賞者の横顔を紹介する(敬称略)。

国内部門

ハンセン病元患者ら診療

  • 森芳正(66)医師

  •  宮城県登米市の国立療養所東北新生園で、17年間、ハンセン病の元患者の診療にあたった。

 がんで亡くなる入所者が多かったことから、内視鏡と超音波を使った検診を行って早期発見を図り、がんによる死亡者を減らした。

  •  1993年、診療所開業に伴って新生園を退職。その後も、新生園に足しげく通い、入所者と地域住民の交流に汗を流す。入所者に施設外の生活を体験させようと花火大会を企画。99年から毎年開催され、地元の夏の風物詩として定着している。〈宮城県石巻市〉


産科・小児科の道 半世紀

  • 内田さく(84)医師

 産婦人科、小児科の医師として、半世紀にわたり、患者を思いやる診療を心がけてきた。

 1964年、茨城県高萩市で産科医療を始めた。新生児の健康管理に関わるには一定の知識が必要と感じるようになり、一念発起して小児科医の研修を受講。83年からは小児科医としての活動もしている。

 出産に立ち会った子供が大人になって自分の子供を連れて来ることに、喜びを感じるという。現在も診療に携わっている夫も、第26回医療功労賞(97年度)を受賞している。〈茨城県高萩市〉


健康診断で農村を明るく

  • 菊地誠(84)医師

 金沢市の金沢西病院で、1972年の開設以来、住民の健康診断事業に取り組んでいる。

 活動の指針に掲げてきたのは、「健康で明るい農村づくり」。地元の農協に出向いて組合員の健康診断を行ったり、地元住民を対象に健康教室を開いて予防啓発を図ったりしている。

  •  健康診断をこなしながら、診察も週に4回担当。診察では、患者とじっくり向き合うよう努める。最近は、企業の従業員の健康診断が増え、精神疾患の患者を診察する機会が多くなったという。〈金沢市〉

医師不足補う「総合診療」

  • 三浦正博(73)医師

 内科、外科を問わず、幅広く診る「総合診療医」の役割を地元で担ってきた。

 1983年、出身の鹿児島県から、妻の実家のある福井県高浜町に移り、地元の病院に赴任。深刻な医師不足で常勤医が少なかったため、どんな患者でも診療できるよう、知見や技術を磨いた。脊髄梗塞を患い、全身がまひやしびれに襲われたこともあったが、リハビリを重ねて復帰した。

 3年前に定年になり、非常勤となった今も、外来や入院患者の診察にあたるほか、若手医師の育成に努めている。〈福井県高浜町〉



「老後の安心」へ体制作り

  • 菅原英次(59)医師

 高齢者が住み慣れた地域で安心して暮らせるよう、医療や介護の体制を整える「地域包括ケアシステム」の推進に力を注いできた。

 1995年、勤務していた岡山大病院から、岡山県川上町(現・高梁市)の川上診療所長に転身。医師による診察の事前と事後に、看護師が患者から丁寧に話を聞いて様子を把握する独自の方式を確立した。

 2000年には、診療所の敷地内に老人保健施設を開設し、医療・介護の一体的なサービスを可能にした。往診や訪問診療も積極的に行っている。〈岡山県高梁市〉

認知症患者らの交流促す

  • 吉田ユリ子(66)保健師

 1973年に大分県安心院町(現・宇佐市)に採用されて以来、約40年にわたって地域住民の健康を支えてきた。

 「住民と同じ目線で行動する」がモットー。健康への意識を高めることに力を入れ、健康診断の受診率向上に貢献した。2004年には、福岡大と連携し、認知症の予防に取り組む高齢者グループ「けんこうクラブ」を創設した。

 退職後は、同県杵築市の社会福祉法人「みのり村」で、患者や家族、地域住民が集う交流組織「認知症カフェ」を運営している。〈大分県杵築市〉

ヒ素公害の研究40年以上

  • 出盛允啓(まさひろ)(75)医師

 宮崎県高千穂町の旧土呂久(とろく)鉱山で発生し、国内4番目の公害病に指定されたヒ素公害。皮膚科医として、40年以上にわたり、患者の検診にあたってきた。

 これまで診察した患者数は延べ3000人以上に上る。後遺症などを考察した論文も発表し、その研究成果はバングラデシュなどのヒ素中毒症対策に生かされている。

 1979年から、宮崎県の公害健康被害認定審査会の委員を務め、2007年には会長に就任。長年携わってきた専門的見地から、県に提言を続けている。〈宮崎市〉

離島の病院運営 厚い信頼

  • 宮上寛之(69)医師

 鹿児島県本土から約500キロ離れた離島である徳之島で、住民の医療・福祉の向上に努めてきた。

 1978年から同島の宮上病院に勤務し、91年に院長に就任。同病院は内科、外科、小児科を始め、七つの診療科を擁し、総合病院的な役割を果たしている。積極的な往診も、公共交通機関が乏しい同島の島民から厚い信頼を受ける一因となっている。

 こうした活動の根底にあるのは、離島の医師不足に対する強い危機感だ。研修医の受け入れなど、若手医師の育成にも力を注ぐ。〈鹿児島県徳之島町〉

学校と連携 むし歯減らす

  • 玉城民雄(69)歯科医師

 沖縄県久米島で、34年にわたり、子供たちを中心に口腔(こうくう)ケアや歯科治療にあたってきた。

 1982年、同島に歯科医院を開設。当時、島には歯科医がおらず、むし歯など口腔内に問題のある子供が多かった。このため、小学校の養護教諭や保健師と連携し、環境整備を進めた。

 乳幼児対象の歯科教室を開催するとともに、保育所や小中学校でフッ素を使ったうがい「フッ素洗口」を奨励。子供のむし歯罹患(りかん)率を全国平均より下回らせることに貢献した。〈那覇市〉

海外部門

アフリカに保健システム

  • 杉下智彦(50)医師

 国際協力機構(JICA)の国際協力専門員として、アフリカ20か国以上で保健システムの構築に努めている。

 現地の実情に応じた医療体制を整備するため、かつてアフリカで活動した経験を生かし、政策を各国に提言。こうした取り組みにより、ケニアでは住民の医療サービスが改善されたことを示す調査結果も出ている。

 1995~98年には、青年海外協力隊に応募し、アフリカ南部のマラウイに赴任。エイズウイルス(HIV)感染者を中心に、数多くの手術を執刀した。〈マラウイほか〉

途上国の若い医師育てる

  • 神野哲夫(75)医師

 アジアの発展途上国の留学生や研修医を受け入れ、医療従事者の指導に尽力している。

 次代を担う若い医師の教育を目的に1993年に設立した「アジア脳神経外科コングレス」は、4000人以上の会員を擁する大きな組織に発展した。2007年には、アジア初の「世界脳神経外科連盟・中間会議」を名古屋市で開催。発展途上国の若い脳外科医約250人を招へいし、交流を深めてもらった。

 こうした人材育成は、発展途上国の医療向上を裏側から支える取り組みとして評価された。〈ミャンマーほか〉

ベトナムで口の異常を治療

  • 山本忠(71)歯科医師

 ベトナムを30回以上訪れ、生まれつき唇や上あごの異常に苦しむ口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)患者を治療してきた。


 海外での医療活動を志したのは、1992年に後輩の誘いでカンボジアに赴き、治療にあたったことがきっかけ。その後、出身の愛知学院大を主な母体として「日本口唇口蓋裂協会」を設立。資金集めに奔走し、95年からベトナム訪問を始めた。

 今は年に数回渡り、1回の滞在で約50件の手術をこなすこともある。これまで治療した患者数は1700人以上に上る。〈ベトナム〉