第45回医療功労賞 全国表彰者の横顔

 「第45回医療功労賞」の全国表彰者10人が決まった。内訳は国内部門8人、海外部門2人。へき地など厳しい環境にもかかわらず、献身的に医療活動に励んできた受賞者の横顔を紹介する(敬称略)。

国内部門

脳梗塞の回復サポート

  • 秋島光雄 70 理学療法士

  •  30年以上、理学療法士と柔道整復師として地域に貢献してきた。

  •  北海道共和町からの依頼で故郷に戻り、「共和整骨院」の院長となったのは1982年。町内唯一の整骨院で、骨折や脱臼などの患者の治療にあたる一方で、理学療法士として、リハビリとは何かを一から説明しながら、脳梗塞の後遺症がある患者らの機能回復を指導してきた。

  •  共和町だけでなく、岩内町、泊村の事業にも協力し、脳梗塞後遺症患者のリハビリを行い、患者の生活を支えてきた。

  •  地域の関係者に機能訓練や住環境整備の講演を行うなど保健師や介護職員の育成にも尽力している。<北海道共和町>

治療、予防の出前講座

  • 奥雅志 67 医師

 過疎地域に指定される病院で通算約28年勤務し、住民に寄り添う医療に率先して取り組んできた。

 外科医として全力を尽くすだけでなく、後進の指導にも力を注いできた。2005年に羽幌病院の院長に就任し、訪問・巡回診療を始めるなど、住民の福祉に貢献してきた。午前に外来診療を終えると、医師と看護師らのチームが、地域の集会所やグループホーム、個人宅などを回る。医療に関心を持ってもらうべく地域の集会所などで、治療や予防法などを知ってもらう出前講座も開いてきた。こうした取り組みに前後して羽幌町では「地域医療を守る条例」が制定された。<北海道羽幌町>

山間地の母子保健に力

  • 矢口洋子 71 保健師

 長野県池田町役場で、保健師として山間へき地の住民の健康と生活を守ってきた。

 母親の影響で看護の道に進んだが、その後、保健師の勉強を勧められ転身。長野市内の学校で学んだ後、同町に保健師として採用された。

 特に母子保健に力を入れ、赤ちゃんがおいしいと感じる母乳を出すための乳房マッサージを家庭訪問で普及させた。また、住民自らが健康を守る自主活動の推進に力を注いだ。町の保健福祉課長や教育長などを歴任。現在も、退職した保健師らが参加する「県在宅看護職信濃の会」の会長として地域の健康づくりに尽力している。<長野県池田町>

子どもの歯 先生と守る

  • 阿部義和 68 歯科医師

 約40年間にわたり母子や在宅患者の治療、予防に尽力してきた。

 「高校の歴史の先生になりたかった」が、父親の勧めもあり大学は歯学部に進学。開業後の1983年、地元小中学校の教諭と歯科医師がともに口腔(こうくう)保健について学び、啓発を行うための「恵那学校歯科保健研究会」を発足させ、これまでに2校が歯の優良校全国1位に選ばれている。

 恵那歯科医師会会長を務めていた97年からは、歯科医院の休診日に交代で救急患者に対応する仕組みを構築した。今も「かかりつけ歯科医の浸透と、医療機関側が自宅に出向く訪問診療に力を入れたい」との思いを胸に、精力的に活動している。<岐阜県恵那市>

自費で発達障害児施設

  • 大森和広 65 医師

 北海道や京都の病院で勤務後、故郷の但馬地域で長年、精神医療一筋に先駆者的な役割を担ってきた。

 1993年に但馬地域初の精神科診療所を兵庫県朝来市に開業、「つながる医療、つながる暮らし」をモットーに、患者を隔離するのではなく、社会の一員として生活できるよう支えてきた。今も700人近い通院患者がおり、住民に頼りにされている。子どもの精神医療にも精通し、私財を投じて発達障害児療育施設を設けた。その役割は公的施設に引き継がれ、現在は併設された診療所で週1回診療にあたる。早期療育開始の大切さを訴え、今も広い範囲で活動している。<兵庫県朝来市>

義足作りで患者に希望

  • 入江弘 61 義肢装具士

 岡山県瀬戸内市の療養所で義肢装具士として35年にわたり、ハンセン病の後遺症でまひが残る入所者の義足などの製作に取り組んできた。

 サイズが合わないと体を傷つけかねないため、医師の処方のもと採寸や型作りを行い、体に合うように作る。義肢にはプラスチックではなく皮革を用いて、使ううちに体になじむように工夫したり、入所者の生活を快適にするために食事用スプーンやフォーク、電化製品のスイッチを改良したりして、病気への偏見や差別で心に傷を負った入所者に生きる希望を与えてきた。昨年、定年となったが契約更新をして現在も現場に立ち続けている。<岡山県瀬戸内市>

話す聴く リハビリ支援

  • 深浦順一 65 言語聴覚士

 障害でうまく言葉を話せない人の指導や、難聴児を早期発見するシステム作りなど、言葉や聴覚が不自由な人の支援を続けてきた。

 製造業の企業に就職したが「障害のために、生きたいように生きられない人をなくしたい」と転職を決意、東京の養成所などで言語障害者のリハビリを学んだ。1982年から佐賀大付属病院(佐賀市)に約25年勤務し、耳鼻咽喉科で言語障害児・者のリハビリに取り組んだ。

 2007年、国際医療福祉大福岡保健医療学部(福岡県大川市)の教授に就任、現在は言語聴覚士を育成しながら、日本言語聴覚士協会会長も務めている。<佐賀県小城市>

無医地区で巡回、診療

  • 滝上茂 68 医師

 過疎化・高齢化が進む山村地域で約35年、地域医療に貢献してきた。

 1982年、大分県豊後高田市にある高田中央病院の前身の松本病院に着任した際、整形外科しかなかった病院に内科などを順次開設し、救急告示病院としての役割を担わせた。市内唯一の小児科医院が閉院した際には、小児科開設に奔走、子育て世代の医療に対する不安を解消した。へき地医療拠点病院として、市内3か所の「無医地区」で月1回、診療活動を続けている。

 最近は、診療所などの検査画像を診断する「遠隔画像診断」を行うなど、住み慣れた地域で不安なく暮らせるような支援を行っている。<大分県豊後高田市>

海外部門

トンガで歯磨き教える

  • 河村康二 69 歯科医師

 1998年に「南太平洋医療隊」を結成、以来トンガ王国の歯科保健・医療の向上に重要な役割を果たしてきた。

 南太平洋諸国では、安易に抜歯が行われていることに疑問を抱き、トンガの小学校では、講話や歯磨き指導など「予防」に重点をおいた活動を進めてきた。2007年には子どもたちの口腔(こうくう)状態は劇的に改善、歯・口腔の健康が全身の健康につながるとして、トンガ政府の健康インフラ整備にも積極的に貢献してきた。

 現在は、歯科保健医療国際協力協議会の会長にも就任、海外で活動する歯科ボランティア団体の活動支援を行っている。<トンガ王国>

東南アジアで訪問看護

  • 赤尾和美 53 看護師

 カンボジア、ラオスなど保健システムが脆弱(ぜいじゃく)な地域で新たな医療の形作りに取り組んできた。1999年のカンボジアでアンコール小児病院が開院する際、診療スタッフの教育と技術指導に携わった。

 以来、貧しくて病院を受診できない人たちのために、訪問看護に力を入れ続けた。エイズ感染症の子どもたちによる自助グループ作りを支援、リーダー43人を養成した。ラオスでは政府と交渉、2015年のラオ・フレンズ小児病院の開設につなげた。同国でも栄養失調やエイズ感染者の訪問看護プログラムを開始、現地スタッフの人材育成をしながら訪問看護を続けている。<カンボジアほか>