読売新聞 報道と紙面を考える 第17回懇談会(2016年10月7日)

「共生」探り 再発防止

読売新聞東京本社は7日、第17回「報道と紙面を考える」懇談会を開いた。外部の有識者の意見を今後の取材や紙面作りに生かすのが目的で、本社紙面審査委員会が顧問を委嘱している上田廣一、国松孝次、長尾立子の3氏と記者教育支援委員5氏が出席。神奈川県相模原市の知的障害者施設殺傷事件と、天皇陛下が「生前退位」の意向を示唆されたことについて、本紙がどう報じたかや、新聞報道に求められる役割などを活発に議論した。

顧問
長尾立子(ながお・りつこ)氏 全国社会福祉協議会名誉会長、元法相
国松孝次(くにまつ・たかじ)氏 元警察庁長官、元駐スイス大使
上田廣一(うえだ・こういち)氏 明治大法科大学院特任教授、弁護士、元東京高検検事長
記者教育支援委員
湊和夫氏(十文字学園女子大名誉教授)
乳井昌史氏(エッセイスト、青森大学客員教授)
森本光彦氏(元山梨英和大教授)
沖山幾夫氏(元読売新聞東京本社新聞監査委員長)
鬼頭誠氏(帝京大法学部教授)
記者教育支援委員
記者教育の充実を目的に、本紙OB記者6人に委嘱。記事や取材活動の講評を行う。

老川最高顧問・主筆代理 あいさつ

背景 多角的に分析

本日は、相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件を最初のテーマとしたいと思います。

殺害された方が19人、負傷された方が27人と、被害者の数の多さだけでも、一人の犯行としては例を見ない事件でした。さらに、障害者を狙った、動機が極めて特異な犯行でした。背景には一体何があるのか。社会学、心理学あるいは教育といった多角的な観点からの分析が求められる事件だったのではないかと思います。

もう一つ、この事件では、警察当局が、被害に遭われた方々の氏名を一切公表しませんでした。遺族の感情などの事情もあると思いますが、基本的に、報道は実名が本来の姿です。本紙は被害者のご家族に了解を得られた方については実名で報道しましたが、実名か匿名かという問題は、報道機関にとって非常に大きな課題になりました。

また、今回のもう一つのテーマ、天皇陛下の生前退位については、国家、あるいは憲法体制、さらには天皇制の根幹にも関わる重大な問題です。論点も多岐にわたります。これから本格的な議論が始まりますが、新聞報道に求められるものという観点からご意見をいただければと思います。

相模原殺傷事件

人権と安全 どう両立 長尾氏/地域ケア 現場を理解 国松氏/市の対応 検証が必要 上田氏

相模原市の障害者施設殺傷事件について、平尾地方部長は、容疑者の動機や、殺害に至った経緯など、「まだ解明すべき点は多い」と説明。容疑者は衆院議長への手紙の中で施設襲撃を予告後、措置入院し、12日後に措置解除(退院)となったが、「措置入院を含む精神医療のあり方や、行政、警察、病院といった関係機関の連携不足が課題として浮かび上がった」と述べた。

上田氏は、動機、手段、方法など、いずれの面からも「我が国の犯罪史上に残る事件だった」とした上で、厚生労働省の有識者検討会による検証結果を盛り込んだ中間とりまとめに着目。その中で、措置入院先だった病院や相模原市の対応が不十分だったと指摘している点に触れ、「行政側が退院後に過度に関与すると、差別と言われかねない場面も出てくるが、放置すると事件にもつながる」と話し、「市が何をやらなければならなかったか、詳しく報道してほしい」と要望した。

また、長尾氏は「措置入院の解除が適切だったか疑問に感じる」と述べ、「精神障害者の人権尊重を配慮した上で、市民の安全も守らなくてはならない。そのバランスをどう考えるか、社会で議論する必要がある。紙面でも展開してもらいたい」と強調した。

国松氏は、「現行の精神保健福祉法の理念は、入院中心の医療から地域全体でケアしていく方向に転換することにあったはずだが、現実には、うまくいっていない。そのため、事件が起きたという面もある」と指摘。「悩んでいる精神科医の現場の声を記事にしてほしい。現場の実情を読者が理解すれば、地域でのケアが前進し、再発防止にもつながる」と提案した。

一方、事件の背景には、偏見に基づいた言動が横行する風潮があるとの指摘も相次いだ。

湊委員は「障害者への偏見は根強い。パラリンピックや学校教育、今回の報道などを通じ、なくしていかなければ」と語った。

乳井委員は「共生社会に向けた意識を醸成していくような紙面を継続的に作っていってほしい」と要望した。

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今回、殺害された19人の名前について、神奈川県警は公表しなかった。平尾地方部長は、「遺族の方への接触を粘り強く続け、信頼を得た上で、実名で報道したい」と話した。

今回の警察の対応について、警察庁OBの国松氏は、「被害者へのメディアスクラム(集団的過熱取材)が起きたら大変なことになるだろうという思いからだと思う。答えが出にくい話だが、警察と報道機関が一つ一つの事件で、議論しながら最善の解決策を見いだすべきだ」と語った。

森本委員は「19人もの人が、名前も明らかにならずにこの世を去るのは非常に無念なことだと思う。実名発表が原則、ということの大切さを社会に粘り強く訴える姿勢が大切」とし、実名発表でもメディアは匿名報道とする場合がある、ということを広く伝えていく必要があると論じた。

鬼頭委員は、障害者への理解が遅れている日本社会の現状を踏まえ、「実名報道を求めるのは大事だが、被害者遺族の立場も真剣に考える必要がある」と述べた。

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ミニ解説:相模原市の知的障害者施設殺傷事件 7月26日未明、知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺され、入所者と職員計27人が重軽傷を負った。殺人容疑などで逮捕された元職員の植松聖容疑者は今年2月、衆院議長公邸に持参した手紙で、施設入所者の殺害を予告していた。来年1月23日までの4か月間、刑事責任能力の有無を調べるため、鑑定留置されている。

天皇制 多様な論点

「生前退位」示唆

天皇陛下がテレビのビデオメッセージで、「生前退位」の意向を示唆されたことについて、原口社会部長がまず、国民の多くが共感する一方で、皇室典範が想定していない生前退位の実現には憲法や制度上の問題点があり、「そうした論点を冷静に報道することに努めた」と報告した。また、天皇制や憲法、歴史観は論者によって意見が分かれるため、「多角的な報道を心がけなければならない」と述べた。前木政治部長も、政府が設置した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」で、幅広いテーマの議論が展開されていくとし、「有識者会議が開かれるごとに丁寧に報道して読者の判断材料になるようにしたい」と語った。

上田氏は、「議論に必要な情報を提供するという意味で、新聞の役割は大きい」と語り、今後の報道に期待した。長尾氏は、「私どもの世代はかつての天皇制についてのイメージがあるが、孫の世代は全く違う認識で受け止めている」と語り、本紙が諸外国の例など多角的な視点から報道した点について、「若い世代がほとんど戦前の皇室を知らないわけで、大変適切な取り上げ方だった」と評価した。

国松氏は、これまで象徴天皇制のあり方が議論されたり、報道されたりしたことは少なかったと指摘し、「今後、様々な議論が出てくるかと思うが、偏らない立場から、克明に報道していくことが求められる」と注文した。

沖山委員は「今回の報道は、新聞の持っているアピール力を改めて感じた。歴史を振り返り、その将来像も考えさせるような紙面の充実が目立った」と述べた。

また、本紙などの世論調査で、生前退位を支持する割合が高い結果が出ていることについて、国松氏は「示された国民の総意というのは、様々な議論をする場合に重く受け止めなければならない」と指摘。乳井委員も、国民に寄り添う努力を続けてこられた陛下の気持ちを多くの人々が支持したとの見解を述べ、今後の報道について「バランス良く、しかし、時にはリードしていく紙面、あるいは読売新聞が得意とする提言報道を考えてもいいのではないか」と求めた。

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ミニ解説:皇室典範 皇位継承の資格や順位など、皇室のあり方を定めた基本法。1889年制定の旧皇室典範の主要部分を引き継ぎ、現行憲法と同じ1947年に施行された。第4条に「天皇が崩じたときは、皇嗣(皇位継承順位1位の皇族)が、直ちに即位する」とされ、「生前退位」の規定はない。

溝口編集局長あいさつ

実名報道 真実に迫る

相模原の事件は、「なぜ防げなかったのか」ということを一本の筋として考えて報道してきました。

例えば、容疑者が犯行前に衆院議長にあてた手紙には、障害者の方々の人権を損ねるような表現もありましたが、犯行の動機につながるものだと判断し、識者に解説、分析してもらった上でそのまま掲載しました。その趣旨についても、『おことわり』をつけて報道したところ、批判はほとんどなく、逆に「事件解明につながる」との反響もありました。

実名報道がなぜ重要か。それは、迫真性だと思います。人数だけでは表しきれない事件の凄惨(せいさん)さ、悲惨さを、ご遺族の話で記事にして、事件を二度と起こしてはならないという教訓にするのです。今後も警察が発表しなくても自力で被害者、関係者を取材し、その方々の意向を踏まえた上で、実名で掲載できるように努力していくつもりです。

天皇陛下の生前退位については、陛下がビデオメッセージで直接国民に語りかけられたことなどが極めて異例でした。引き続き、その経緯を検証するとともに、今後の議論についても丁寧に報じていきたいと思います。

本社側の出席者

老川祥一・グループ本社取締役最高顧問・主筆代理、溝口烈・東京本社専務取締役編集局長、前木理一郎・編集局次長兼政治部長、天野真志・経済部長、佐藤浅伸・国際部次長、原口隆則・社会部長、平尾武史・地方部長、棚瀬篤・論説委員、滝鼻太郎・グループ本社広報部長、中村明・東京本社紙面審査委員長、高部真一・大阪本社記事審査部長、野間潔・西部本社編集局次長

(2016年10月21日 読売新聞)