第24回(2017年度)読売国際協力賞「海外難民らに眼鏡無償提供」 株式会社「富士メガネ」

「見える喜び」贈り35年

 第24回読売国際協力賞は、海外の難民・国内避難民に眼鏡を無償提供する視力改善事業を地道に行ってきた株式会社富士メガネ(本社・札幌市)に決定した。

富士メガネ

1939年に樺太で創業した富士眼鏡商会が前身。終戦で北海道に引き揚げ、46年に札幌市で営業を始めた。北海道内に56店舗、東京都や神奈川県など道外にも11店舗あり、眼鏡の販売・修理などを行っている。従業員は約560人。このうち約半数が日本眼鏡技術者協会の認定眼鏡士の資格を持つ。2016年度の売上高は82億5252万円。

難民に眼鏡 20万組

 第24回読売国際協力賞を受賞した富士メガネは、苦境にあえぐ海外の難民・国内避難民に直接、眼鏡を届けるユニークな支援活動を行ってきた。良い眼鏡を通して、生きる希望と新しい未来を見つけてほしい――「見える喜び」を贈る社を挙げての真心が35年の献身を支える。

 北海道の新千歳空港から飛行機を乗り継ぐこと28時間。アゼルバイジャンの首都バクーに7月、富士メガネの役員・社員6人が着いた。一行は、バスでさらに西へ約300キロ・メートル、難民や国内避難民が身を寄せる町ミンゲチェビルに移動した。

 強度の遠視や近視、乱視でも、お金がなくて買えなかったり、逃げる途中で落としたりと、眼鏡を持っていない難民は多い。そんな人々の視力を検査し、無償で眼鏡を作ってあげることが一行の目的だ。幕末に坂本龍馬が率いた「海援隊」にちなみ、「視援隊」と名付けられ、アゼルバイジャンは13回目の訪問だ。

 日本の眼鏡がもらえると聞いて会場に押し寄せた数百人の避難民の中に、80歳の女性がいた。隣国アルメニアとの紛争で息子3人を亡くしたという。「生前の息子の写真を見るのに眼鏡が欲しい」――。金井昭雄会長(75)ら一行に涙ながらに訴えた。

 すでに右目の視力を失い、残る左目も近い所が見えづらくなっていた。手作業で視力を測り、日本から持ち込んだ約4000組の眼鏡から、女性に合う眼鏡を探し、かけてもらった。

「視援隊」の社員
今年7月、アゼルバイジャンでの視力支援ミッションで、避難民の目の状態をチェックする富士メガネ「視援隊」の社員(富士メガネ提供)

 「ヤクシー(よく見えます)! チョーサオール(どうもありがとう)」。老母は歓喜の涙を流した。これこそ、「視援隊」の至福の瞬間だ。  検査は多い時で1日に約500人、帰国までの約2週間で計約3000人に達した。持ち込んだ眼鏡で合うものがなければ、日本に検査データを持ち帰り、新しいものを改めて空輸する。今年は2790組の眼鏡を現地で手渡し、帰国後に製作した132組を貨物便で届けた。

 視援隊は、帰国後すぐに翌年の準備が始まる。派遣地によっては、コレラやマラリアに感染する恐れもある。会社やボランティアで参加する社員の負担も大きいが、やりがいはそれ以上に大きい。

 札幌市内の店舗勤務で昨年の視援隊に初めて参加した菊地翔平さん(32)は、「見える!」と泣いて喜び、抱きついたりキスをしてくる難民を目の当たりにし、「見えるってそんなにうれしいんだ。これまで働いてきて、こんなに喜んでもらえたことはない」と驚く。帰国後も技術を磨くため、検眼などの通信教育を受講、来年も視援隊に加わる予定だ。

 これまで参加した社員は延べ183人。日本の日常と離れた場で、「見える喜び」を贈りながら、社員自身が「贈る喜び」を味わい、さらなる研鑽(けんさん)に励んでいる。

 視援隊はタイやネパールなど計4か国を訪問。現地で手がけた眼鏡の数は約13万組に達する。このほか、ケニアやナイジェリアなど社員が実際には訪れず寄贈したのみの分も含めると、提供した眼鏡の総数は約20万組に上る。(北海道支社 木瀬武)

子どもたちの心に光 イラク北部

みんな笑顔
桑木さん(右)
桑木さん(右)から眼鏡を受け取る子ども=いずれもIOM提供、イラク北部アルビルで 
「博士になったみたい」

 「よく見える!」

 過激派組織「イスラム国」支配から逃れた避難民が暮らす、イラク北部アルビル近郊にあるデバガ・キャンプ。10月5日、国際移住機関(IOM)のスタッフから、「富士メガネ」が提供した色とりどりの真新しい眼鏡が子どもたちに配られた。様々な心の傷を抱え、暗い表情をしていることが多い子どもたちが、眼鏡をかけた瞬間、ニコッと笑顔を浮かべ目を輝かせた。

イラク地図

 生まれて初めて眼鏡を手にしたというムハンマド・アブドラワヒド君(11)は2年前、「イスラム国」の最大拠点だったモスル近郊から、家族と一緒に逃げてきた。「今まで視力を測ったことなんかないから、自分の視力が悪いなんて知らなかった。文字も、絵もはっきり見えて、まるで博士になったみたいだ」と喜ぶ。ずっとフレームが曲がった眼鏡をかけていたファエザ・ムハンマドさん(18)も、「新しくて、こんなにいい眼鏡がもらえるなんてうれしい」と声を弾ませた。

 IOMと富士メガネが連携したイラクでの視力支援活動は2016年3月から始まり、これまで避難民キャンプなどで、2000人以上の子どもたちに眼鏡が支給された。キャンプで暮らす子どもたちは、ほぼ着のみ着のままで逃げてきた。地域には十分な医療施設もない。「イスラム国」が去っても復興は進まず、過酷な環境での避難生活が2年以上に及ぶ子も多い。

 IOMイラク事務所職員、桑木麻美子さん(30)によると、キャンプでは、水や食料など生活に欠かせない物資から支給されるため、通常、目が悪い子どもたちへの支援までは行き届かないことが多いという。桑木さんは子どもたちの表情を語りながら、「眼鏡は、キャンプ内での学校での学習にも役立っている。家や家族を失い、つらい境遇の子どもたちの心にも光を与え、将来につながる支援だ」と評価する。

 半年前に眼鏡をもらったシャイマ・サバハさん(6)は、「学校の本がすらすら読めるようになった。将来の夢は目医者さんになること」と話し、アラ・アブドゥラさん(11)も、「黒板の文字もはっきり見えて勉強がしやすくなった。学校の先生になりたい」――。  日本の眼鏡をかけたイラクの子供たちに、明日への視界が開けている。(カイロ支局 倉茂由美子)

「眼鏡には人生を方向付ける力がある」

 

金井昭雄さん
会長 金井昭雄さん 75 

 「大変光栄だ。視力補正の重要さを知ってもらう機会になればうれしい」。海外難民視力支援活動を自ら先頭に立って進めてきた富士メガネの金井昭雄会長(75)は、読売国際協力賞受賞の喜びを語る。

 支援の原点は、創業者の父を継ぐため、金井さんが最先端の視力ケアの専門家(オプトメトリスト)を目指し、米国の大学に留学中の1970年代初めに体験したボランティアにある。アリゾナ州の先住民居留区で、一人ひとりの視力を検査し、仲間とかき集めた使い古しの眼鏡を配った。

 日本でまだボランティアがなじみの薄かった時代。眼鏡を手に満面の笑みを浮かべる先住民を見て、たった一組の眼鏡が生み出す力に強い衝撃を受け、「日本に戻っても必ずやろう」と心に決めた。

 転機が訪れたのは、富士メガネ専務時代の81年。インドシナ難民支援団体から「難民に適切な視力補正サービスを提供したい」と連絡を受けた。すぐに600組の眼鏡をタイの難民キャンプに送ったが、心は晴れなかった。「既製の眼鏡を送るだけではだめだ」

 83年、視力支援を創業45周年記念事業と位置づけ、500組の眼鏡とレチノスコープ(検眼鏡)を持ってタイに乗り込んだ。通関手続きで眼鏡を押収されるなどトラブルも続発したが、視力を測り、度数の合った眼鏡を手渡した難民たちが、「見える」「見える」と泣いて喜ぶ姿にすべての苦労が吹き飛んだ。

 「またあの笑顔が見たい」。帰途の飛行機での固い決意が、「見える喜び」を贈り続ける35年につながった。難民の反響は大きく、翌84年からは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が全面協力、支援物資の無税通関などの便宜を図ってくれた。

 樺太(現サハリン)で生まれ、終戦で引き揚げた体験と難民の姿が重なる。混乱の中で出生証明書がなく、出生地は「北海道」としている。2006年、難民支援のノーベル賞と言われる「ナンセン難民賞」を日本人として初めて受賞し、自らの出自を話すと、「あなたも難民じゃないか」と驚かれたのを覚えている。

 難民の自立に教育は欠かせない。視力が弱いと、教科書や本を読めず、学習にも限界がある。「正しい情報が眼鏡を通じて入ってくる。眼鏡には人生を方向付ける力がある。今後も支援を続けたい」と金井さん。眼鏡の奥の視線の先に無限の世界が広がる。(木瀬武)

「模範的な献身ぶり」 佐藤行雄・選考委員会座長

  富士メガネは35年の長きにわたり、海外における難民や避難民に、眼鏡を無償で提供するという視力改善事業を地道に行ってこられました。

 明日への希望を失った人々や視力が弱く教育や職業訓練を受けられない人々のもとに直接赴き、一人一人に最適な眼鏡を贈り「見える喜び」を与える、真摯(しんし)でユニークな活動は、世界に誇るべき価値ある国際貢献と言えます。

 「企業の社会的責任」という意味からも、金井昭雄会長以下、社を挙げての献身的取り組みは他の企業の範となる貢献と思います。

◆選考委員(敬称略)
佐藤行雄(日本国際問題研究所副会長)=座長
長尾立子(全国社会福祉協議会名誉会長)
大島賢三(元国連大使)
佐藤謙(世界平和研究所理事長)
老川祥一(読売新聞グループ本社取締役最高顧問・主筆代理)

(2017年11月30日 読売新聞)