第5回(1998年度)読売国際協力賞 故 秋野豊 国連タジキスタン監視団(UNMOT)政務官・前筑波大学助教授

写真:正賞の花びんを受ける秋野夫人
「遺骨の隣に花を添えたい」という夫人に花びんが正賞として贈られた

国際協力活動で顕著な業績のある個人・団体を顕彰する読売国際協力賞の第5回受賞者は、国連平和維持活動(PKO)の一環である国連タジキスタン監視団(UNMOT)の政務官として、和平進展に大きな成果を上げながら7月、反政府勢力に殺害された故秋野豊・前筑波大学助教授に決定しました。正賞と副賞500万円を贈ります。

秋野氏は、日本政府によりUNMOT初の日本人政務官として、ことし4月から現地タジキスタンに派遣され、同国政府と反政府勢力の停戦合意の実施を監視する任務についていましたが、7月20日、首都ドゥシャンベ東方の山岳地帯で反政府勢力指導者との交渉を終えての帰途、反政府武装勢力の銃撃を受けて非業の死を遂げました。

選考委員会では、秋野氏が、〈1〉中央アジア地域研究の業績で国際的にも知られた学者として任務の危険性を熟知したうえで、国際貢献への熱意と強い使命感から任務を引き受けた〈2〉現地では、その知識、経験、語学力、行動力を生かし、通常の監視活動の枠組みをはるかに超える調停努力で和平進展に大きく貢献した〈3〉日本人の国際貢献への取り組み姿勢の範を身をもって示した――などの点が極めて高く評価されました。

写真:秋野豊氏
秋野豊(あきの・ゆたか)前 筑波大学社会科学系助教授(国際政治、旧ソ連政治)
1950年北海道小樽市生まれ。早稲田大学卒、北海道大学大学院博士課程修了。79~82年ロンドン大学スラブ東欧学研究所留学、83年法学博士。北大スラブ研究センター兼任研究員。83~85年在ソ日本大使館専門調査官、88年筑波大助教授。98年4月国連タジキスタン監視団に日本人初の政務官として派遣、活動中の同年7月20日イスラム系反政府勢力のテロにより死去。著書に「ゴルバチョフの2500日」、訳書に「ボリス・エリツィン」などがある。

秋野さんの遺志、基金に

世界の平和と生活の安定に寄与した人物や組織に贈られる「読売国際協力賞」第5回の受賞者は、行動派のスラブ学者として活躍、7月、「国連タジキスタン監視団(UNMOT)」の政務官としてタジキスタンで公務中に銃撃され亡くなった故秋野豊・前筑波大学助教授(当時48歳)に決定した。気鋭の学者の早逝を惜しむ声と共に近年、国連平和維持活動(PKO)への派遣など、より一層の人的貢献が求められている日本の人材派遣制度の環境整備を求める動きも高まっている。

「まるで地獄の底から響いてくる声のようでした」。秋野氏死亡の悲報は、事件発生翌日の7月21日午後10時ごろ、まず洋子夫人のもとに直接もたらされた。UNMOTの現地代表が「悲しいお知らせがあります」と沈痛な声で電話をかけてきた時のことを、夫人はこのように振り返る。

最初は信じられず、東京の外務省に問い合わせたりした後、「1時間ぐらいボーッとしていたと娘は言うんですが、自分では覚えていないんです」。

以後、2か月半、3回の葬式や「偲(しの)ぶ会」、それらの事後の仕事に忙殺され、今ようやく秋野氏の死の意味を考え始めているところだ。

若手研究者を支援 夫人が構想、寄付を募る

実は、夫人はこれまでに秋野氏を顕彰したいという二、三の申し出を断っている。かけがえのない人を失ったショックと悲しみが大き過ぎたし、賞などもらっても秋野氏は喜ぶまいと思ったのだ。だが、今回は考えを変えた。読売国際協力賞の副賞の500万円を“礎石”に、官民の寄付や秋野家のお金も加えて基金ができないかと思ったからだ。秋野氏の北大スラブ研究センター時代の恩師である伊東孝之早大教授や、ロシア研究の先輩、袴田茂樹青山学院大教授らからのアドバイスと基金創設への協力表明があったことも、夫人の気持ちを動かした。

夫人は、まず秋野氏と同じユーラシア研究を志す優秀な若い研究者を経済的に支援するものにしたい、それもできるだけ長期の支援事業が続けられるものにしたいと希望している。

秋野氏の受賞が決まってから、基金創設への模索が始まった。氏をUNMOTに送り出した外務省は支出を検討し始め、母校の北大や教え子が残された筑波大も強い関心を寄せている。メッセージを寄せた小渕首相や高村外相、親交のあった武見敬三外務政務次官ら政治家たちも協力の意向を表明している。

当面の課題は、洋子夫人が希望するような、官民からのお金を1つの基金にまとめることができるか、そして目的にかなった運営がうまくできるかどうかだ。

夫人の希望と秋野氏の遺志を生かすためにも、本賞受賞が基金創設の契機となることを期待したい。

補償充実が課題 日本の人的国際貢献

写真:遺品のフィルムから
タジキスタン山岳地帯での故秋野豊氏(左から2人目)=遺品のフィルムから

91年の湾岸戦争の際、総額130億ドルもの資金を提供しながら人的貢献度の低さから「汗も血も流さない日本人」が批判されて以来、政府は資金だけでなく、人材派遣を軸とした新たな国際貢献策を模索し続けている。

日本の人的な国際貢献としては民間レベルでは最近、活動が活発になっている非政府間機関(NGO)がある。開発協力分野で海外で活動している日本人NGOの数は100人以上にもなり、独自のプロジェクトのほか、各地で政府開発援助(ODA)などと連携した新たなプロジェクトも進行中だ。

一方、政府の人材派遣も増えている。その代表的なのはPKOへの参加だ。92年、国際平和協力法が成立、自衛隊を含む、日本人の本格的なPKO参加が可能になった。現在、派遣中のPKOはシリアのゴラン高原で停戦監視などを行う「国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)」への45人。国別PKO要員数では43番目だ。

同法成立以来、派遣したPKOは92年、「国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)」に派遣した724人を筆頭に「第2次国連アンゴラ監視団(UNAVEM2)」「国連モザンビーク活動(ONUMOZ)」「国連エルサルバドル監視団(ONUSAL)」の4つ。

さらに、ルワンダへの難民救援活動と今年6月の同法改正により可能になった紛争地域における選挙監視活動への派遣としてボスニア・ヘルツェゴビナの総選挙・地方選挙監視団(OSCE=全欧安保協力機構=選挙監視団)への派遣もある。

政府の人材派遣としては88年以降、外務省設置法等に基づき政務官や選挙監視要員の派遣が行われており、PKOへの参加を含め、これまでに17件、141人が紛争地などに派遣されている。

PKO邦人犠牲3人

48年にエジプト、レバノンなどに「国連休戦監視機構(UNTSO)」が派遣されて以後、今年9月までに49(以下国連資料をもとにした外務省資料)のPKOが結成されている。その中には敵対行為などで250人の犠牲者を出した「コンゴ国連軍(ONUC)」などがあり、敵対行為、事故、病気などによるこれまでのPKO要員の総犠牲者は秋野さんら日本人3人を含む計1581人に上る。

このほか、国際貢献の先兵として政府から海外に派遣されている日本人としては国際協力事業団(JICA)の技術移転のための研修員、専門家、青年海外協力隊員などがいる。9月末現在、海外の任地にいる研修員は2447人、専門家は1743人、協力隊員は2540人、さらに調査団の団員を含めるとJICAだけで7千人以上が海外で活動中だ。

経済協力の現場もPKOに劣らず危険度が高い。今年9月、タンザニアで臨床検査専門家、花岡理英子さんがダルエスサラーム市の自宅前で新車を狙った強盗に銃撃され死亡するなど74年にJICAが発足して以降、殺人、事故などによる犠牲者数は156人に上っている。

危険任務に見合わず

犠牲者に対する補償はPKOや政務官派遣の場合は国家公務員災害補償法に基づく遺族年金、遺族特別援護金、葬祭補償金のほか、危険地での勤務者を対象に特別に用意されている賞じゅつ金制度による補償金、共済組合からの遺族共済年金などが支払われている。

一方、JICAでは労働者災害補償保険特別加入制度や海外共済会給付制度によって遺族に補償金が支払われる。だが、海外共済会の弔慰金の4850万円以外は労災補償の遺族特別支給金300万円、葬祭料108万円など危険な任務に就くのに見合う補償とは言い難い状況だ。


「身命賭して和平に努力」  選考委員会座長・浅尾新一郎

第5回読売国際協力賞の選考委員会は10月8日に開かれ、慎重審議の結果、全会一致で故秋野豊氏への授賞が決まった。

まず事務局から、今回は昨年より7件多い自薦他薦34件(19個人と15団体)の応募があり、読売新聞社内の推薦委員会で6件(4個人と2団体)に絞られた旨報告された。加えて昨年の選考委で持ち越しとした4件(3個人と1団体)があり、延べ10件が今回の選考対象となった。

この報告に対して、各選考対象の詳細について質問が行われた後、各選考委員が意見を述べあった。

そのうえで、それぞれ支持する候補者の指名に入ったが、今回は、一委員が秋野氏を含む3候補を「同等」とした以外、残る五委員が秋野氏だけを指名した。

秋野氏は、現地タジキスタンを5回も訪れるなど中央アジア情勢にもっとも精通した学者として国際的にも有名で、UNMOT政務官への派遣を強い使命感から引き受けられた。着任後は、反政府勢力支配地域もくまなく踏破し、双方の捕虜交換を実現するなど、いわゆる監視活動を超えて和平進展に努力し、その途次非業の最期を遂げられた。

文字通り身命を賭(と)して平和のために努力された秋野氏の国際貢献は、読売国際協力賞の趣旨に合致し、氏の受賞は時宜を得たものとの点で、選考委員全員の意見が一致した。

なお、秋野氏のような地域専門家や国際貢献を志す若者の育成のため、本賞が有効に活用されることが期待される。

(1998年10月15日 読売新聞)