第6回(1999年度)読売国際協力賞 難民を助ける会(AAR、相馬雪香会長)

国際協力活動に目覚ましい業績を上げた個人や団体を顕彰する読売国際協力賞の第6回受賞者は、長年にわたり内外で難民救済事業を中心に幅広い活動を展開してきた「難民を助ける会」(AAR、本部・東京都品川区、相馬雪香会長、会員約2千人)に決定しました。正賞と副賞500万円を贈ります。

AARは、1979年に相馬会長が当時大量流出したインドシナ難民を救済するために設立したわが国初の難民救済NGO(民間活動団体)「インドシナ難民を助ける会」を母体に、以後東南アジア、アフリカ、旧ユーゴと活動舞台を広げたほか、大災害の被災者救援、対人地雷撤去活動と廃絶キャンペーンなどにも大きな実績を上げてきました。事業費として会員や延べ30万人にのぼる協力者から寄せられた寄付金総額は38億円、食糧、医薬品、器材などは35億円相当にのぼります。

写真:相馬雪香氏
相馬雪香(そうま・ゆきか)AAR会長
1912年東京生まれ、女子学習院卒。戦後、全日本婦人連盟などの運動に参加し、79年インドシナ難民を助ける会(現・難民を助ける会)発足とともに会長。父は、「憲政の神様」と呼ばれ、反軍国主義・反ファシズムを唱えた政党政治家、尾崎行雄(1858―1954)。

NGOの先駆、幅広い活動

第6回読売国際協力賞は、日本最初の難民救済NGO(民間活動団体)としての歴史と活動実績を誇る「難民を助ける会」(AAR)に決定した。会長の相馬雪香さん(87)は、インドシナから大量の難民が流出していた70年代後半に、日本が難民を受け入れていないのを外国の友人に非難されたのが悔しくてAARの母体をつくった。その時、「官」が冷たかったことを今も忘れない。

だから、AARの活動のよりどころはあくまで一般の寄付と草の根のボランティアの力である。今もその陣頭に立つ相馬さんは、創立20周年を機に会の名称を変更することでさらなる飛躍を考えている。「とにかく日本は世界全体のことを考える国にならなければ」

地雷廃絶運動、震災支援、盲人図書館… 行動力と人脈傑出

87年、仏救援団体「世界の医師団」の責任者をしている、記者(山田)の知人が突然来日した。救援船を出し小舟でベトナムを脱出してくる難民を救助しているが、数百人の引き取り国が見つからない、日本に受け入れてほしいと言う。

「難民を助ける会」の吹浦忠正さんに頼んだ。外国救援船からの難民受け入れは前例がなかったが、彼は当時の中曽根首相に直訴、一定数を受け入れる約束を取り付けた。結局は仏政府が引き受けたのだが、私は「助ける会」が前例がなくても挑戦する行動力と人脈で、難民の強い味方になったのだと実感した。

会が発足後間もない80年代前半は、役人や政治家から余計なことをする団体と迷惑顔もされた。インドシナ難民からアフリカ飢餓へ救援の手を広げた時も、現地では言葉もだめ技術もない日本人は足手まといだとイヤな顔をされた。

だが今や、会は地雷廃絶運動をはじめ医療から盲人図書館まで広範な事業を推進する。「(北)朝鮮の子どもにタマゴとバナナをおくる会」も作った。国内でも在日難民支援など地道な活動が続く。内外プロジェクト総数は50以上。トルコや台湾など被災地への緊急支援事業も続々飛び込む。年間予算5億円、うち一般寄付が8割。日本のボランティア団体の横綱だ。

それより何より、「助ける会」などの活動の積み重ねの結果、わが国で「難民」「ボランティア」が、完全に市民権を得た。エイリアンのように思われていた「難民」が身近な存在となり、このボランティア後進国でも多くの青年が活動に励む。社会の意識の変化こそ最大の成果と言えるかもしれない。

会の発展のかぎは、少なくとも5つあったと思う。

第1のかぎは、チャレンジ精神だ。カンボジア難民救援で地雷被害者がいかに多いか実感した若者たちから、根本を断つには地雷廃絶運動しかないとの声が上がり、旧来の人道援助からの逸脱を気にする古い世代も動かした。そしてノーベル平和賞を受けたICBL(地雷を禁止する国際キャンペーン)に日本で最初に参加、日本のオタワ対人地雷禁止条約調印に貢献した。

第2は、「政治や宗教とは無関係」の立場に徹し、しかも頑固なことだ。筋金入り頑固・反骨の相馬雪香会長をはじめ、外圧に屈しない。北朝鮮人道支援でも、この会ほどイデオロギーと無関係の団体は少ない。

93年のカンボジア総選挙監視には、危険で問題だからやめろという外圧を跳ね返して集団参加した。

第3は、女系家族の女性パワー。102歳の加藤シヅエ顧問を筆頭に、相馬会長、三木睦子顧問(元首相夫人)の3人を「ご意見番の三ばば」と呼ぶらしいが、会を動かしているのは圧倒的に女。それに男が混ざり、老若女男、それぞれの持ち味を発揮してきた。

第4はアイデア力。対人地雷撤去運動絵本シリーズは46万部も売れたが、絵本という母親らしいアイデアは柳瀬房子事務局長から生まれた。北朝鮮の子供へのタマゴとバナナは、戦後それが最大のごちそうだったおじさん世代の発想。そのほか「愛のポシェット」運動などキメ細かいアイデアがいっぱいだ。

第5は、強力なサポーター人脈。中曽根元首相は、会制作の対人地雷廃絶ポスターの絵も描いたし、小渕首相も地雷廃絶で会とスクラムを組んだ。石井好子、森進一、黒柳徹子、中村紘子各氏ら多くの音楽家、芸能人も協力を続けてきた。

だが日本では横綱でも、世界全体ではせいぜい前頭。21世紀には援助や予防外交でNGOの役割は一段と拡大する。国内外の組織との協力もより大きな課題となろう。これから一層の挑戦が待っている。(調査研究本部主任研究員・山田寛)


「継続的な事業 評価」  選考委員会座長・浅尾新一郎

第6回「読売国際協力賞」選考委員会は9月21日、委員全員出席の下に開かれ、慎重審議の結果、「難民を助ける会」を全会一致で受賞者に決定した。

まず事務局から、読売新聞社の社内推薦委員会が新規応募および昨年からの継続候補計46件について検討、うち個人3、団体3の計6件を選考委員会に推薦した旨の報告が行われた。

これを受けて選考委員会は、熱心かつ率直な討議の末、個人1、団体1に絞り込んだものの、「どちらの受賞にも反対しない」とする委員が多く、一時はこう着状態に陥った。結局、「難民を助ける会」の方が、活動期間がより長くかつ幅広い事業を継続的に展開してきたことが決め手となった。

選考委員会は、20年にわたる同会の活動実績に加え、〈1〉31か国におよぶ活動がきめ細かくかつ継続的〈2〉政治的、宗教的中立を維持することで活動の幅を拡大している〈3〉コソボ難民救済、トルコ地震救援など緊急事態への即応体制と機動力を備えている――などを高く評価した。

これらの諸活動に敬意を表するとともに、ことし創立20周年を迎える同会に本賞を授賞することは時宜にも適すると思われる。また、同会の活動に顕著な自己犠牲の精神やリスク負担の覚悟を今後も選考の際に重視していきたい。

(1999年10月5日 読売新聞)