科学フォーラム東京ノーベル・フォーラム「30年記念セッション」

科学の道 常道なし

今年30年目を迎えた「ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム 次世代へのメッセージ」が6月5日、東京・内幸町のイイノホールで開かれた。30年記念セッションと銘打ち、江崎玲於奈・横浜薬科大学学長(1973年物理学賞)、野依良治・科学技術振興機構研究開発戦略センター長(2001年化学賞)、山中伸弥・京都大学iPS細胞研究所長(12年生理学・医学賞)の3氏を招いた。「ノーベル賞と日本」をテーマに、講演とパネルディスカッションを行い、ノーベル賞常連国の条件などを議論した。高校生ら約480人の参加者は熱心に聞き入っていた。

(文中敬称略)

写真:フォーラムの様子
パネルディスカッションで意見を述べる(左から)野依良治氏、江崎玲於奈氏、山中伸弥氏

参加受賞者
江崎玲於奈 横浜薬科大学学長(1973年物理学賞)
野依良治 科学技術振興機構研究開発戦略センター長(2001年化学賞)
山中伸弥 京都大学iPS細胞研究所長(12年生理学・医学賞)
コーディネーター
佐藤良明 読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員

基調講演 江崎玲於奈氏「過去でなく 未来に学べ」

写真:江崎玲於奈氏
えさき・れおな

東京大学理学部卒。米IBMワトソン研究所、筑波大と芝浦工大の学長を経て2006年から現職。1973年、半導体のトンネル効果の発見でノーベル物理学賞を受賞。98年、茨城県科学技術振興財団理事長。92歳。

本フォーラムには初回から毎年参加してきた。その経験から(ノーベル財団がある)スウェーデンと日本の結びつきが強まったことを感じる。日本の発見・発明が速やかにスウェーデンに伝わり、評価されるようになった。これが、21世紀になって日本から16人のノーベル賞受賞者が生まれた一因ではないか。

私が歩んだ道を振り返ってみたい。第2次大戦終結前、戦局が悪化して様々な怪しい情報が横行する中、高校生だった私は「人間の可能性を限りなく広げてきた科学、宇宙を貫く普遍的法則を論ずる物理学こそ学ぶべきもの」と思い、大学の物理学科に入った。

東京大空襲の翌朝も、大学ではいつも通りに講義が行われ、私は必死にノートを取って物理学の世界に没頭した。この時、何があっても学び続けることの大切さを教わった。私がノーベル賞に値する研究成果を上げられたのは、この教えに従ったからかもしれない。

自分の一生は、自分が主役を演ずるドラマだ。その戦略である人生のシナリオは、自分で決めなければいけない。何を天職とするか、人生で何をなすべきか。この問いかけに対する最も的確な答えを得ることが、学校へ行く目的だ。

私が大学を卒業した1947年当時、日本の企業は壊滅状態だった。それを立て直すことも大事だと思って企業に就職した。

大学で学んで新鮮な刺激と強烈な感動を受けた量子力学を、デバイスの開発に生かせないかと私は考えた。量子力学を発展させるよりも、いかに活用するか。それが私が描いたシナリオだった。そして、幸運の女神がほほ笑んで、エサキダイオードを開発できた。

ノーベル賞をとるためには、今までの行きがかりやしがらみに、とらわれてはいけない。既成概念を超えるところに発見のチャンスがある。過去から学ぶのではなく、将来から学ばなくては。明日を訪ねる唯一の道は科学の研究なのだ。

基調講演 野依良治氏 「異文化の刺激 独創の源」

写真:野依良治氏
のより・りょうじ

京都大学工学部卒。米ハーバード大学博士研究員、名古屋大学教授などを経て2003年に理化学研究所理事長。15年から現職。01年、「キラル触媒による不斉水素化反応の研究」でノーベル化学賞を受賞。78歳。

独創的な科学者に共通する特徴をあげよう。まず地頭(じあたま)(生来の頭の働き)が強い。学歴は関係ない。優れた感性と好奇心を持っている。反権力、反権威の傾向があり、変人が多く独立独歩だ。困難を克服する精神力を持ち、思い入れが強い。

そして「異」に出会った経験を持つ。井の中の蛙(かわず)がいくら考えてもアイデアは生まれない。ノーベル賞受賞者は、たびたび所属を変え、受賞時に平均4・6か所の研究機関を経験している。山中さんは5か所、私は3か所動いた後に受賞した。日本人受賞者の多くが米国での研究歴がある。その点、最近の若者が内向きなのは気になる。

ユダヤ人は世界人口の0・2%以下だが、ノーベル賞の自然科学部門の受賞者に占める割合は20%を超えている。その理由は国を失った民族が命がけで世界を渡り歩き、多くの人とつながりを作ったからだと思う。異文化に触れて刺激を受けることが、独創性の源になる。

個人にできることには限りがあり、これからは知の「共創」が大切だ。一人の科学者の発見を基に百人の協力で技術を発明し、千人の知恵を集めて社会的な価値を創る。これをイノベーションと呼ぶ。

私が50年前に発見した有機合成化学の原理を基に、住友化学工業が優れた防虫剤を開発し、ポリエチレンに練り込んで蚊帳を作った。その技術をタンザニアに供与した。世界保健機関のマラリア対策事業の基盤となり、同国で7000人の雇用を生んだ。

グループとチームの違いを知ってほしい。グループは「群れ」であり、似た者同士の均質な集団だ。

一方、チームは、明確な行動目的を持つ社会的組織だ。優れた指揮官のもとに異なる能力を集めてチームを作る。侍ジャパンは日本人だけだが、研究開発では世界中から多様な人材を集めてドリームチームを作らなければいけない。みなさんも世界へ飛び立ち、ドリームチームの一員になってもらいたい。

基調講演 山中伸弥氏 「難しいこと あえて挑戦」

写真:山中伸弥氏
やまなか・しんや

神戸大学医学部卒。米グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学教授などを経て、2010年から現職。12年、iPS細胞を作製した業績でノーベル生理学・医学賞を受賞。54歳。

私は研究者として、「他の人と同じことをしない。他の人と違うユニークな研究をする」ということを心がけている。それを実現するには三つの方法がある。

一つ目は「天才的なひらめき」だ。私の場合、一生懸命考えてみたが、残念ながら、思いつかなかった。研究者修業を始めた米国のグラッドストーン研究所時代、上司の言うことを聞くことにした。

上司は、肝臓で働く「APOBEC1」という遺伝子を研究していた。この遺伝子は、コレステロールを下げて動脈硬化を予防するのではないかと考えられていた。私は上司から、それを確かめるためにネズミで実験してくれ、と言われた。

実験をしたら、おなかが大きくなるほど大きな肝臓がんができた。コレステロールの調整に働くはずの遺伝子は、がん遺伝子だったのだ。私はこの事態にすごく興奮した。誰もやったことがない研究に出会えたからだ。二つ目の方法は「予想外の結果が出てもがっかりせず、それを生かす」ことだ。

この研究をきっかけに、がんの研究を始め、同じように無限に増殖する「ES細胞(胚性幹細胞)」に出会った。ES細胞は神経や心臓など様々な細胞を作り出すことができ、万能細胞と呼ばれる。この細胞を使えば、働きが悪くなった組織や臓器をよみがえらせることができる。

しかし、この細胞は受精卵をもとにして作るので(倫理面で問題だと)反対する人もいる。私は受精卵を使わずに同じような能力がある細胞を作ろうと思った。当初は難しすぎると思われていたが、研究の結果、生まれたのが、皮膚などの細胞に遺伝子を加えて作る「iPS細胞(人工多能性幹細胞)」だった。ユニークな研究を行うための三つ目の方法は「難しくて他の人が手を出さないことに挑戦する」ことだ。

これら三つの方法は「研究」という分野に限ったことではない。特に若い皆さんには、様々なことに挑戦してほしい。

パネルディスカッション 日本の信頼蓄積 受賞増生む

――日本の物理学賞受賞者は素粒子研究者が多い。

江崎最初に湯川秀樹博士が受賞し、その流れができた。実際、素粒子研究の分野は日本が強い。物性物理学は私の後に受賞者が出ていなかったが、3年前、青色発光ダイオードで3人が受賞した。

――化学賞は実験に基づく有機合成の受賞が目立つ。

野依理論に比べて実験は金がかかる。戦後は理論研究が優勢だったが、経済力が高まるにつれ、実験化学者も世界が認める業績を上げるようになった。

――生理学・医学賞受賞者に共通点はあるか。

写真:芝田裕一・読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員
コーディネーターの佐藤良明・読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員

山中二つが一つになった賞で、利根川進博士、大隅良典博士は生命現象を解明した業績が評価される生理学賞、大村智博士は医学への貢献が評価される医学賞を受賞したと言える。我々のiPS細胞も受賞時は生理学的側面を評価されたが、医学にも貢献したい。

――今世紀に入って日本人受賞者が増えた理由は。

野依戦後の貧困から脱出しようという気概が我々を鍛えた。政府が経済復興を目指して科学技術の振興に力を入れてきた。それらが結実したと思う。

山中先人が積み上げてきた信頼の蓄積が大きい。20年前、私が米国に渡った時、日本人という理由で信頼されるのを感じた。日本人が日本人を推薦してもノーベル賞はとれない。外国人の信頼や友情を得て、推薦してもらう必要がある。

――日本はノーベル賞常連国であり続けられるか。

江崎才能のある若者が研究者になるかにかかる。科学の魅力や大切さを社会が認識していないのではないかと心配している。

――どんな若者に期待しているか。

野依最近の若者は人と違うことをやることを嫌がる。だが大切なのはリスクを冒すことだ。「千万人といえどもわれゆかん」という気概が科学を発展させる。

――会場の高校生へのメッセージをいただきたい。

山中利根川博士の講演会で質問し、励まされたことがiPS細胞の研究につながった。みなさんも今日の経験を生かし、大きく羽ばたいてほしい。

野依科学の本質は不確実性にある。失敗を恐れずにやりたいことをやってほしい。周囲の人は若者の夢を忍耐強く見守ってもらいたい。

江崎自分で新しい知識を発見すると、人間は根源的な感動と喜びを感じる。科学の研究はとても面白いことをお伝えしたい。

質疑応答 女性受賞者 きっと出る/研究意欲で語学も克服 

写真:フォーラムの様子
ノーベル賞受賞者の話に耳を傾ける高校生たち

――日本人女性でノーベル賞受賞者はいない。女性科学者への期待を。

山中私の研究所は若手研究者の半分以上が女性だ。男性以上の仕事をしている。女性の活躍が目立つ海外と日本の違いは、優秀な女性を男性が支える点だ。女性が男性を支えるのが普通だった日本も、少しずつ変わってきた。女性の受賞者はきっと出てくると思う。

――「独創」を貫くには何が重要か。

野依根拠と信念に基づく「思い入れ」が大切だ。根拠のない「思い込み」に陥らないためには、いろいろな人と議論して必要があれば考えを修正することだ。

――海外での学びに必要な英語力をどう身につける。

写真:フォーラムの様子
ノーベル賞受賞者に質問する女子生徒

江崎良い研究をすることが言葉よりも重要だ。学びの意欲があれば、言葉は何とか克服できる。

――研究で心が折れそうになったことはあるか。

山中私はいつも折れそうになる。「もうダメだと思う瞬間は、打破する一歩手前」など、本を読みあさって心に響く言葉を探して自分を励ましてきた。

江崎人生に失敗はつきもの。失敗が色々な教訓を与えてくれる。そこから何を学ぶかが重要になる。

フォーラム参加者の声

出会いあせらずに

東京都立小石川中等教育学校5年、小国春希さん(16)(東京都板橋区)「夢は研究者。物理学や生物学などに関心があり、研究分野を決められずにいる。しかし、山中さんの講演を聞き、あせらず、大学に入ってから、挑戦したい研究に出会えばいいと思った」

信念を貫いて研究

市川高校2年、坂本和樹さん(16)(千葉県習志野市)「野依さんが示した『独創的科学者の特徴』が興味深かった。科学者に向いているのは、タフな性格の人だと理解した。大学で物理を専攻するつもりだが、研究では野依さんのように信念を貫きたい」

科学の大切さ実感

渋谷教育学園渋谷高校2年、鶴巻明梨さん(16)(東京都足立区)「戦争中、怪しい情報が出回る中、普遍性を求めて科学の道を選んだという江崎さんの話が印象に残った。米国で科学に懐疑的な風潮が生まれている今は当時に似ている。科学の大切さを感じた」

 

◆これまでに83人が登壇◆

ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム 読売新聞社が主催して、1988年に始まった(89~2009年はNHKが共同主催)。草創期はノーベル財団の特別協力を得て、ノーベル賞の6賞6人が参加した。これまでに受賞者83人(うち日本人17人)が登壇している。

  • 主催=読売新聞社
  • 後援=外務省、文部科学省、NHK

(2017年08月08日 読売新聞)