5000号 1891年5月15日 衝撃の大きさ、3ページで伝える...大津事件

1891年(明治24年)5月11日、ロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)一行が人力車で大津の京町筋を通行した際、路上警備をしていた津田三蔵巡査が突然、剣を抜き、皇太子の頭部を斬りつけた事件。湖南事件ともいいます。動機は、皇太子の来遊が日本侵略の準備であるとのうわさを信じたためとされています。

帝国主義の時代。列強の皇太子に傷害を負わせた事件の衝撃は大きく、日本政府はロシアの報復を恐れ、津田を大逆罪で死刑に処すことを企図して裁判に干渉しました。しかし、当時の大審院長・児島惟謙(いけん)は政治的圧力を排して普通謀殺未遂罪を適用し、津田に無期徒刑の判決を下しました。司法権の独立が守られた事件としても知られています。

事件から4日後の5000号は、事件の衝撃が日本国内でいかに大きかったかを物語ります。1面で滋賀県内の心痛など載せたほか、2面では、料理人や随従武官の話などを紹介しつつ、皇太子の胆力や泰然ぶりを称賛。3面では東京音楽学校などの諸学校が皇太子へのお見舞いの書面を奉呈したことを伝えています。