スクープの記録
第五福竜丸がビキニで被曝(1954年3月)
1954年(昭和29年)3月1日未明、静岡県焼津港に所属する「第五福竜丸」が、中部太平洋のビキニ環礁で米国の水爆実験に遭遇し、乗組員23人が被曝しました。帰港翌日の15日夕、焼津通信部の安部光恭記者は、知人から被曝情報をキャッチし、東京の社会部と連携して取材を進めます。東大病院に搬送されていた被曝者の取材に社会部記者が成功し、16日の朝刊社会面トップ(大阪は1面トップ)で報じます。日本の漁船の被曝は、日米両政府とも把握していませんでした。このスクープは世界を駆け巡り、安部記者は1955年、第3回菊池寛賞を受賞しました。

雲仙・普賢岳噴火で発生した火砕流(1991年6月)
1991年(平成3年)6月3日夕、長崎県雲仙・普賢岳で大火砕流が発生し、43人が犠牲になりました。佐賀支局の真子生次(まなこ・いきつぐ)記者(当時)は、火砕流から必死に逃げる消防隊員の姿を撮影しました。一方、山中で取材していた大阪本社写真部の田井中次一(たいなか・つぎかず)記者は火砕流に巻き込まれて帰らぬ人となりましたが、自分の体でかばったカメラの中には迫り来る火砕流の様子が7コマ残されていました。真子記者の写真は翌4日の朝刊1面に、田井中記者の写真は6日の朝刊1面に掲載されました。火砕流の恐ろしさを伝えた両記者の組み写真には、91年度新聞協会賞が贈られました。


上九一色村でサリン残留物検出(1995年1月)
山梨県上九一色村(当時)で、猛毒ガス・サリンを生成した際の残留物質が警察当局によって検出されたと、1995年(平成7年)元日の1面トップでスクープしました。この残留物質は、前年6月に長野県松本市で発生した松本サリン事件(サリンガスで7人が死亡。後に1人死亡し、犠牲者8人)の現場からも検出されていたため、上九一色村に施設を持っていた宗教団体・オウム真理教の関与が一気に浮上。その後のオウム事件報道の先駆けとなりました。

<担当記者が語る>
- 三沢明彦(当時、社会部)
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迷いはありました。「打ち時」(スクープ記事を紙面化するタイミング)を誤ってはならない。いつも自らにそう言い聞かせていましたから。松本サリン事件から5か月後の1994年11月、山梨県上九一色村(当時)でサリン残留物質が検出されました。しかし、オウム真理教の実態はつかめず、警察の動きは鈍いものでした。教団の暴発もあり得る、捜査を待つべきではないか。しかし、葛藤の中で決断しました。危機が迫っていることを国民に知らせるべきだ、と。その年の行方を指し示す元旦紙面を選んで、記事にしたのです。
報道によって、教団は大量のサリンを廃棄しました。だが、地下鉄サリン事件(都内の地下鉄にサリンがまかれ、13人が死亡、6000人以上が負傷した事件)が起きてしまいました。教団の暴発を防ぐことはできなかったのか、自問自答は今も続いています。
核密約文書、佐藤元首相邸に(2009年12月)
沖縄返還を巡る1969年(昭和44年)11月の日米首脳会談の際、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が極秘に交わした密約文書を佐藤氏の遺族が保管していたと、2009年12月22日の夕刊1面で報じました。沖縄返還は「核抜き・本土並み」が条件でしたが、「合意議事録」と題した密約文書には、返還後に有事が発生すれば核の再持ち込みを認めることが記されていました。外務省はそれまで密約の存在自体を否定しており、長く秘匿されていた歴史の一端を解明する戦後史の第一級資料の発掘となりました。文書の内容を特報した政治部の吉田清久記者には、10年度新聞協会賞が贈られました。

<担当記者が語る>
- 吉田清久(当時、政治部)
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大変な事実を知らされた――。佐藤栄作元首相の次男・信二氏から「核密約文書を保管している」と打ち明けられた時、私の胸は高鳴りました。ただ、「日米関係に影響を与えたくない」とし、記事にすることは断られました。私は「新聞記者に話すのは、時間が経てば公表する用意があるのでは」と考え、信二氏を粘り強く説得しました。了解を得て報道するまで5年の歳月がかかりました。この間、文書が見つかった経緯や内容、体裁を一つ一つ聞き出しました。まさに歴史に埋もれた闇に光を当てる作業でした。
核密約を巡っては、それまで報道各社が何度も関連文書を見つけて報じてきましたが、外務省はその都度否定していました。読売の記事は「密約の動かぬ証拠」となり、不毛な論争に終止符を打ったのです。
東電OL殺害事件で、遺留物から別人DNA(2011年7月)
1997年(平成9年)に発生した東京電力女性社員の殺害事件に関し、東京本社社会部の取材班は、無期懲役が確定していたネパール人男性の「冤罪」を示すDNA鑑定結果が出たとの情報をつかみ、2011年7月21日朝刊1面で報じました。この鑑定結果が決め手となり、12年11月に東京高裁で男性の再審無罪が確定。取材班は、12年度新聞協会賞を受賞しました。

<担当記者が語る>
- 早坂学(当時、社会部)
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スクープから1年余りたって男性の無実が証明されても、手放しで喜ぶ気持ちにはなれませんでした。取材班はDNA鑑定に関する取材の過程で、警察・検察が捜査段階で重大な過ちを犯していた事実もつかみました。被害女性の体から男性とは別の血液型を検出していたのに、裁判に出さずに伏せていたのです。この事実を報じると、検察は猛反発しました。「立証に必要なかっただけで、隠したわけではない」と。
しかし、この血液型鑑定が裁判に出されていれば、そもそも男性が異国の地で拘束される必要はなかったかもしれないのです。無実の罪で失われた15年。司法も報道も、なぜもっと早く彼を救えなかったのかという思いは消えません。
群馬大病院で腹腔鏡手術後8人死亡(2014年11月)
保険適用外の腹腔鏡(ふくくうきょう)を使う高難度の肝臓切除手術を巡り、群馬大病院で手術を受けた患者のうち8人が2011年から3年半の間に死亡していた事実を、14年11月14日朝刊1面でスクープしました。取材班は群馬大病院の事例を通して、保険適用外手術が倫理審査や患者への十分な説明もなく繰り返されたことを明らかにし、先端医療の導入を巡る不透明な実態について何度も問題提起しました。読売の一連の報道が与えた衝撃は大きく、関係機関や医療現場が改善に動き出すきっかけとなりました。取材班は15年度新聞協会賞を受賞しました。

<担当記者が語る>
- 高梨ゆき子(当時、医療部)
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医療事故の取材は、問題だと伝えられるだけの根拠となる事実を固めるのが難しく、日の目を見ないことも多いものです。群馬大の問題は、保険適用外で高難度の手術だったこと、病院の倫理審査を通していなかったことなど、外形的事実を積み上げ、核心に切り込むことができました。
一連の報道では、一病院の不始末にとどめることなく、この医療事故を通じて見えてくる現代医療の課題を多角的に検証するよう心がけました。その結果、多くの現場が医療倫理や医療安全を見直す契機とし、改善に向け、舵を切りました。
主なスクープ記事年表
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- 1954年3月
- 第五福竜丸がビキニで被曝(菊池寛賞)
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- 1954年12月
- 吉田内閣きょう総辞職
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- 1965年7月
- 吉展ちゃん誘拐事件で遺体発見
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- 1967年1月
- 紅衛兵に引き回される中国要人の写真と中国文化大革命に関する特報(ボーン国際記者賞)
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- 1971年6月
- 22年前の弘前大教授夫人殺害事件で真犯人が名乗り(新聞協会賞、菊池寛賞)
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- 1973年8月
- 金大中事件に韓国公的機関員が介在(新聞協会賞)
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- 1988年3月
- 大阪府警の拾得金横領と主婦犯人扱い事件へのキャンペーン(新聞協会賞)
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- 1988年6月
- ソ連のピアニスト、ブーニン事実上亡命
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- 1990年2月
- 東北新幹線トンネル工事で凝固剤不正注入
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- 1991年6月
- 野村証券、法人損失160億円穴埋め
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- 1995年1月
- 山梨県上九一色村でサリン残留物検出
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- 1995年10月
- 田沢法相と新進党側が国会質問で裏取引、田沢法相は辞任
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- 1998年6月
- 妻以外の女性から卵子の提供を受け、国内初の体外受精(新聞協会賞)
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- 2001年1月
- 外務省幹部が機密費流用
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- 2003年2月
- 日銀総裁に福井俊彦氏
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- 2005年4月
- ライブドアによるニッポン放送買収問題で両社が和解へ
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- 2006年3月
- 自殺した上海総領事館員の総領事あて遺書入手
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- 2007年3月
- 年金の支給漏れが22万人、納付記録見逃す
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- 2008年8月
- 中国製ギョーザ中毒事件で、中国国内でも健康被害
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- 2009年1月
- 日本漢字能力検定協会が禁じられている利益20億円、文科省が調査へ
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- 2009年9月
- 鳩山内閣の全入閣者・ポストを発表前に特報
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- 2009年12月
- 核密約文書、佐藤元首相邸に(新聞協会賞)
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- 2010年12月
- 漁業4社、ロシアに裏金5億円
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- 2011年7月
- 東電OL殺害事件で、遺留物から別人DNA(新聞協会賞)
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- 2012年8月
- 妊婦血液でダウン症診断、国内5施設が導入へ
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- 2013年9月
- 安倍首相、2014年4月に消費税率を8%に引き上げる意向
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- 2014年4月
- 米大統領「尖閣に安保適用」 単独書面インタビューで意向表明
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- 2014年11月
- 安倍首相、年内にも総選挙を検討
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- 2014年11月
- 群馬大病院での腹腔鏡(ふくくうきょう)手術後に8人死亡(新聞協会賞)
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- 2015年4月
- 第2次世界大戦後、北朝鮮の旧ソ連収容所で死亡した日本人869人の名簿を発見
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- 2018年8月
- 東京医科大が医学部医学科の一般入試で女子受験生らの得点を一律に減点し、合格数を抑制
※スクープ記事、スクープ写真の年月は、最初に報じた時点で表記しています。