新聞販売店の姿
全国に約6600店の読売新聞販売店
読売新聞販売店は、読売新聞社から届けられた新聞を配達し、読売新聞社の事業パートナーとして情報を届ける「最終ランナー」 の役割を担っています。他紙も扱う店舗を含めると、全国に約6600店あり、約5万人のスタッフが働いています。このうち読売新聞の専売店は約3100店で、読売センター(YC)と呼ばれています。店内に託児所を設けたり、外部の託児所と提携したりして、女性が働きやすい環境づくりに務めているYCもあり、全スタッフの約4割は女性が占めています。
インターネットが普及した今日においても、新聞への信頼は高いものがあり、販売店はその信頼を支える役割を担っています。

地域と共に歩む販売店
地域の隅々まで知っているYCスタッフは、日々の仕事を通じて、地域の安全に気を配ったり、困った人を助けたりして「街の見守り隊」の役割も担っています。
また、YCのなかには、古紙回収や産直品販売などの独自サービスを行っている店舗もあります。エリアごとにYCを束ねた「読売会」やYC自身で、地元イベントの運営や支援を行うこともあります。
こうした活動を通じて、YCは地域の皆様とともに歩んでいきたいと考えています。
販売店で働くスタッフたち
教員退職後、YC勤務に 新聞配達通して学び続ける
ときがわ明覚(埼玉)
後藤健二さん(68)

読売センター(YC)ときがわ明覚(中島照夫所長)で朝刊の配達を始めたのは2011年11月。3月末に埼玉県内の小学校を教頭で退職して、7か月余りが過ぎていました。俳優の菅原文太さん演じる「トラック野郎」にあこがれ、「第二の人生は、運転手になって全国を回る」のが夢でした。しかし、家族の反対もあって、夢をあきらめざるを得ませんでした。
職に就かず半年近くたった9月のある朝、本紙に折り込まれたYCの求人チラシを見ました。心に何か引っかかりました。10、11月とたて続けに入ってきたチラシを見て、トラックではありませんが、バイクに乗って仕事ができるうえ、未明・早朝の仕事なので、16年続けている地元の学童野球の指導に支障が出ないこともあり応募を決めました。
もともと、後藤さんには中学時代、新聞配達の経験がありました。後藤さんの古里は、長野県の南部、旧南信濃村(現・飯田市)。住んでいた地区は、戸別配達がなく、後藤さんが毎日、地区の入り口にまとめて届けられていた新聞を、学校帰りに一軒一軒配っていたのです。当時の配達料は新聞、中でもプロ野球の記事を読むのが楽しみでした。
中学卒業後、後藤さんは、いったんは愛知県小牧市の会社に就職、働きながら定時制高校に通っていましたが、2年目の秋、同級生に誘われ、郵便局に移り、配達員に。大学進学のため、東京に引っ越したものの、郵便配達は続けました。その後、埼玉で教員生活を送ることになりましたが、「配達」という仕事は、その後も後藤さんの人生の中で大きなウエートを占めることになったのです。
現在、後藤さんが朝刊配達を担当しているのは約100軒。あるとき、仲良くなったおばあさんから、「新聞を読むのは楽しみだけど、ポストへの新聞の入れ方が雑だと、配達した人がいい加減だと思う」という話を聞きました。「教えてもらうことで成長する。私にはまだ学ぶ余地がある」。きちんと配達しないと、お客様の期待を裏切ることになるのだなと後藤さんは気づきました。
こうした後藤さんの日頃の仕事ぶりを見て、YCの中島所長は「安心して仕事を任せられる店の中核です。若い時の話を聞くと、人生は自分でつかむのだということを感じました。若い人の見本になってほしい」と期待しています。後藤さんは「新聞は文化で、社会の宝。それを届けるのは、文化の担い手の一人になること。これからも続けます」。新聞配達を通して後藤さんは、今も学び続けています。