社説・1面コラム

社説

30年後の検証にも堪える主張

 読売新聞は、政治、経済、社会問題などの国内外の重要なニュースに対し、「社説」欄でその主張を明確にしています。社説は、社論を統括する主筆の下に置かれた論説委員会が日々、徹底した討論で論調を決めています。論説委員会は、論説委員長、政治、経済、社会、国際、科学などの編集局各部出身の練達の記者たちで構成されます。

 社説は、「勇気と責任ある言論」を掲げる「読売信条」を基盤にしています。世論におもねることなく、「30年後の検証にも堪える」ことを基本姿勢として、主張を練り上げています。

2024年元旦社説

戦後70年、言論で国をリード

 読売新聞の社説は、戦後の日本の針路をリードしてきました。

 東西冷戦が激化する中、1951年(昭和26年)に調印されたサンフランシスコ講和条約を巡っては、前年5月15日の社説で「全面講和を強く主張すればするほど国民をして反西欧の方向へかりたてるおそれが多い」と訴え、日本の主要メディアで唯一、西側諸国との単独講和を主張しました。ソ連を含む全面講和論を支持せず、西側諸国との単独講和で早期独立を図ることが国益にかなうという判断の正しさは、その後の日本の平和と経済成長の歩みが証明しています。

 東西冷戦が続いていた82年(昭和57年)の1月1日の社説「あえて80年代を楽観する」では、経済的な理由で東西の軍拡競争に限界が来ることや、ソ連など東側諸国の閉鎖性が情報通信の技術革新によって崩れることなどを指摘。その後の冷戦終結への道筋を予見した社説として、後に高く評価されました。

 90年代には国連平和維持活動(PKO)への参加をいち早く説き、また、集団的自衛権に関し、行使はできないとした当時の日本政府の憲法解釈は、国連憲章と矛盾するとして、改めるよう求めています。2001年9月11日の米同時テロを受け、同年10月6日の社説では「国際テロは日本でも起こりうる脅威である。日本自身の問題として反テロ対策に取り組まなければならない」として、自衛隊の活用を含めた国際貢献活動への積極的な取り組みを訴えました。いずれも、その後の日本政府の決断を先取りしたものでした。

 経済・財政に関しても、消費税法が成立する約10年前の1978年(昭和53年)6月6日の社説で、「現在の財政事情をみると、いずれはこの新税の創設が避けて通れないものになっている」とし、増税に対する抵抗感の強かった社会の風潮に迎合しない立場を明確にしています。90年代のバブル経済崩壊後、デフレが始まったころから、デフレ克服を最重要課題にすべきだと訴えてきたのも、読売新聞でした。

 反対が多くても、根気よく道理を説き続ければ、結果的に読者の理解と信頼を得ることができると、読売新聞は信じています。

1面コラム

 読売新聞には、筆力の優れたベテラン記者たちがコラムを書いています。「編集手帳」(朝刊1面)、「よみうり寸評」(夕刊1面)をご紹介します。

編集手帳

 「編集手帳」は、内外のニュースから肩の凝らない暮らしの話題まで多彩なテーマを自在に料理し、世相を約460文字で活写するコラムです。1949年(昭和24年)に創設されました。「朝刊は まず編集手帳から読む」という読者も少なくありません。2017年10月3日付朝刊から担当する東京本社の清水純一論説委員は、「堅い言い回しで『論じる』のではなく、読者に一緒に考えてもらえるような平易な文章」を心掛けています。

よみうり寸評

 「よみうり寸評」も、社会の「今」を切り取り、読者に問いかけるコラムです。1949年(昭和24年)11月の夕刊復活と同時に創設されました。文字数は朝刊の「編集手帳」よりわずかに少ない約420文字。東京本社論説委員会に所属する棚瀬篤論説委員らが交代で執筆しています。直近のニュースを精査して旬の話題を取り上げます。